Killing me softly with his song

「せっまいだろ、まあ一人だし、こんなもんでいいんだけどな」
 しばらく歩いてたどり着いたその部屋、若干くたびれたバッツのフラットにはベットやローテーブル、床に置かれたラグマット、TVとDVDデッキ、壁掛CDプレイヤーがある他に、いくつかのダンボールが放置されていた。
「あんた、引っ越したばかりなのか?」
「いや……もう半年、かな。なんか飲むだろ?……ああ、自分で選ぶか?」
 そう言うとバッツはスコールを連れて狭いキッチンに立ち、冷蔵庫の戸を開く。
「コーラとコロナ……あとペリエくらいしかねーかな。悪いな、そんなものしかなくて」
「ああ、じゃあこれを……」
 スコールがそこからコーラを取ろうとすると、ちょっと待った、とバッツの手に手首を掴まれる。
「ああ、待てよ、氷入れるからさ。ソファーないけど、床でもベットでも好きなところ座ってな」
 ほら、座った座った、なんていいながら笑うバッツにキッチンから追い出されたスコールは若干いぶかしみながらも、とりあえず上着を脱いで、床に座った。バッツが手に二つコーラの入ったグラスをもってキッチンから出てきたのは、そのすぐ後だった。

「じゃんじゃじゃ~ん、なあ、スコール、ラムコーク飲めるだろ?」

 そう言って、スコールの目の前のローテーブルにグラスを置くと、当然のように自分の横にバッツは座ってくる。いつもカウンター越しにしか話さない相手がすぐ横にいる、しかも電車の中であんな妄想を繰り広げてしまった後だ。緊張しないわけがなかった。スコールがDVDのパッケージを持ったまま、何も言えず黙っていると、ひょい、とそれをバッツに奪われてしまう。

「……で、何もって来たんだ? 
ああ、これ、昔ルームメイトが持っててやったな……BANG!BANG!ってさ。
ロケットランチャーでゾンビの頭ぶっ放したり……映画も、まあいいよな」
「……もう見たのか」
「ああ」

 しばし、どうしたものかと考え、黙っていると、まあ、とりあえず飲めよ、とラムコークのグラスを薦められる。まあ、何もない家だけどな、チアーズ!(乾杯)、とお互いのグラスを軽くぶつけてからしばらく後、おもむろに切り出したのはバッツだった。

「なあ、スコール。さっきのこと、聞いてもいいか」
 来た。近くに彼の顔があって――ふと、電車の中での妄想がフラッシュバックする。
「あ、ああ……その」

 もし今、彼に触れたらどんな心地がするんだろう。幼少期から――特に母親が死んでから――、義姉のエルオーネなど限られた人間は別だったけれど、人に触られるのはとても苦手だった。喋りもしないで黙って絵を描くだけの自分を祖父母は忍耐強く育てた。やがて少しは喋れるようになったし、軽く触られるくらいなら平気になったけれど、いまだにその名残は残っている。
 そんな自分がどうして人に触ろうだなんて事、考えているんだろう。困惑から、スコールは顔を歪め、俯いた。

「その?」

 言葉を引き出そうとして相槌を打つバッツの手が俯いたスコールの顔をくいっと持ち上げる。顔が近くなる。彼の大きな目はしっかりと自分を見据えている。
 責めるようでもなければ、からかうようでもなく、どちらかといえばやさしく尋ねるような表情を彼が浮かべているのも心を掻き乱した。これ以上直視していることは出来ないと感じ、きゅっと目を瞑ると、スコールは口を開く。
「俺、好きだとかそういうのわからないし……人に触られるのも苦手だから、誰かと寝たこともない、だけど……」
「だけど、なんだ……?」

 両頬が今対峙している彼の手で包まれる。その感覚は不思議と嫌なものではなかった。その感覚に後押しされ、言葉をスコールは続けた。
「あんたのこと、が、気になる……」

 次の瞬間、何が起こったのかを理解するのにはしばらく時間が掛かった。
 なにかやわらかいものが唇にあてがわれる。
 薄く目を開けると、目を瞑ったバッツの唇がそこに押し当てられていた。それからバッツは軽く胸を押してスコールの体を床に倒すと、下唇をついばむようなキスをして、小さく笑った。
「そうか、きになっちゃったんだ……おれも、スコールのこと、きになるよ」
 そう言いながらスコールの髪を撫でて、また彼はキスを落とす。今度は深く口があわさるように角度を付け、口付けてきた。目を瞑り、軽く口を開き、唾液で唇を湿らせた彼の顔は妙に艶っぽくて、下半身が疼いた。彼との口付けは全然悪い気分でもなければ恐ろしくもなかった。しかし、それでも自分が男相手に反応してしまっている事実はいまだに信じられない。呆然としているとまた声をかけられる。

「やっぱり気持ち悪いか、触られるの」
「……ああ、いや、そんなことは」

 緩く首を振ると、なら、よかったよ、と返事が帰って来る。そのままバッツの顔は自分の股間へと降りてく。彼はジーンズの上からそこに口付けると、ジッパーを歯で降ろし、その隙間から中に触れようとする。バッツの手が下着ごしにそこに触れた時、思わず自分のそこが脈打っているのを感じられてしまうのが恥ずかしくて顔で手を覆った。

「ま、待ってくれ」
「何?」
 制止の言葉どおり、そこをまさぐろうとする手の動きは一瞬止まった。
「不安なのか? ……でも気になるんだろ?」
 その言葉に頷くと「おれもお前のこと気になるって言ったろ」なんて穏やかな笑いを含んだ台詞が返ってきた後、スコールのベルトのバックルをバッツは外し始めた。脚を抜いてボトムを脱がせると、彼は熱を持ち始めたスコールのそこを布越しに握り、軽く扱き始める。その感触は決して心地良くないとは言えなかったが、されるがままになっているのは不本意ではあった。
「……そうだけど……あ、あ…やめてくれ」
「どうしたいんだ? 言ってみろよ。好きなようにしていいんだぜ、スコールの」
 弄ばれている部分に血が急速に集まっていくのを感じ、小さくスコールは呻いた。
「あ、ああ……おれは……」
「……まあ、こんなとこじゃ嫌だよな、あっち上がる? 狭いのは対して変わんないけど」

 そう言うとバッツはスコールのそこから手を離し、おもむろに自分の着ていたシャツを脱ぎながらローテーブルを挟んだ向かいにあるシングルベットの方へと向かっていく。来ていたトップスを脱いであらわになった、その薄く筋肉の付いた細くしなやかなその上体は、想像していたよりもずっと、男らしさを感じさせるものではあったが、どことなく蠱惑的でもあった。
 その背中に触れたい。そう思った時にはスコールは立ち上がり、バッツを後ろ抱きにしていた。
「……何故かわからないけれどあんたに触れてみたくなった。笑うかもしれないが……あんたが店に来るとなんだかいらいらしてたんだ、でも、最近は……少し……たのしみで……」
「そっか……好きなだけ触れよ、気が済むまで。お前がどんな顔するのか、おれも見たいよ」
 背中を向けた彼が今どんな表情をしているのか図り知ることはできなかったけれど、思った以上にその声は穏やかにスコールの耳に響いた。

「なあ、お前、震えてるのか、大丈夫だから……」
 無意識のうちに緊張のためにか震えていた、背後に立つスコールの方に体ごと向いたバッツは、スコールの唇に自分のそれを宛てて、音を立て短く口付ける。
「……何にもこわいことなんてないんだ」
 振り向いてそう告げたバッツはスコールの着ている服を脱がせながら、何度も様々な場所――肩、胸、引き締まった腹――に口付けていく。残されたアンダーウェアに彼の手が伸びそうになった時、スコールもバッツのボトムを脱がせようと手を伸ばす。焦るばかりで上手くベルトを外せないのを見れば「そんな急がなくていいのに」と笑われ、閉口する。
 結局自分でボトムもアンダーウェアも脱いでしまったバッツの手で一枚だけ残ったアンダーウェアも脱がされてしまった後は、今度は彼から抱きつかれた。

「おれもさ、おまえにちょっかいかけたり、話したりするの、好きなんだ、へへ。
 ……なあ、スコール、今日はいっぱい話そうぜ」

 その人の屈託ない笑いに、またスコールはすこし、めまいを覚える。一体これから自分は何をしようとしているんだろう。分からないまま、手を引かれてベッドに入った。シーツの間でもう一度、腕も手も絡ませて抱き合った後はしばらく動けなかった。バッツの手が髪や肌に伸びてきたので、同じように手を伸ばし、感触を確かめながら、とりとめのない話を続けた。

(ばれたっていうのは離れて暮らしてる父親の事、写真家をやってて……)
(そうなんだ、いっつもしかめっ面してるよな、お前、たまには笑っちゃえよ)

 その言葉と共に額や首筋に落とされるキスがくすぐったくて思わず声を上げると、なんだ、そういう顔もできるんじゃん、とまたキス。今度は唇。現実感が全然ない。こうやって誰かと触れ合う事をどこか恐れてきたけれど、そこに思い描いていたような凶暴さはなかったし、また、想像していたよりもずっとそれは甘美だった。ひょっとしたら少しだけ酔っているのかもしれない。浮遊感のある意識の中で、わけもなくおかしくなりながら、自分の上に跨るバッツを見ていた。

(そうだよ、もっとお前はそういう顔、しろよな、)

 何が起こっているのかよく分からないけれど、それはとても熱くて、もう何も考えたくなくなる心地だった。締め付けられたり、淫靡な水音や相手の喘ぎやたまに上がる上擦った声を聞いたり。自分の腹の上で体を震わせるその人の姿は、まるでメトロの駅で待っていた時のように、どこかいつもの彼が遊離してしまったみたいに実態がなく、見覚えのない別の人間のように見えた。
 やがてお互いが満ち足りた後、荒い息を整えながら狭いベットに横並びになった時、ふいに、手を握られる。

「ごめんな」

 そう確かに小さく、聞こえた言葉の真意は解せなかったけれど、前日のパーティーや深夜までの仕事の疲れからか一気に眠たくなる頭ではろくに返事を返す事はできなかった。

 目覚めてもその人は隣にいた。上体を起こして、部屋の中を見回すと、ダンボールだらけのその部屋にカーテンの隙間から青白い光が差し込んでいる。もう一度、自分の横を見てみると、やはりバッツはそこにいる。確かに昨晩、自分は彼に触れたのだ。その事実が信じられなくて、寝息を立てている彼の肩にそっと触れると、眠たそうにゆっくりとバッツは瞼を開いた。
「……おはよ」
「……ああ、その、……おはよう」
「まだ寝てろよ、それとも学校か?」
 伸びをして、シーツのすきまから出てきたバッツの顔に昨晩のしどけなさや不安定さはもうなかった。ああ、いつもの彼だ。
「……昼からだから、一度帰らないと」
「そっか、朝飯くらいなら作るからその間に風呂でも……わ、なんだよ」
 上体を起こしたバッツを今一度ベットに押し付け、上から見下ろしてみる。ちょうど形は反対だったけれど、たしかにこんな感じの距離感だった。そして不意に思い出す。
「なあ、あんた……なんで謝ったんだ」
「それは……」
 言いにくそうにバッツが目を逸らす事に若干痛みを覚えながら、答えてくれ、と問いかけると、彼は口を開いた。
「冗談みたいに人に触ったりするのがおれのスタイルだし、それで良いってやつとしか寝てこなかった。だけど、スコールは……そういうふうにしちゃいけないやつだって、触ってみてわかったんだ。だから、ごめんな、ほんとに」
「謝るな」
 まっすぐにスコールの方を見ない彼の頬を両手で包むと、慣れないけれど、唇を合わせるだけのキスをした。
「ここまで来たのはおれ自身の意思だ、まあ、あんたも強引だったけどな。それに……別に嫌じゃなかった」
 だから、そういうことじゃないんだよ。そう小さく、やるせなく腕の下で聞こえた声に返すべき言葉を見つけられないまま、スコールが黙っていると、さらにバッツは言葉を続けた。
「なあ、責任取るべきかな」
「それをおれに聞くのか」
「っはは、だよな……わかったよ、じゃあさ、こんなおれだから、ごっこしかできないけど……恋人ごっこでもする?」
 乾いた笑いの後に聞こえた言葉はそれでもずいぶんと希望のあるものに聞こえた。どうだ、と首を傾げて小さく笑う彼の表情は、いつものスコールをからかう時のそれとはまた違って見えた。
「それって『悪くない』?」
「それはおれの真似をしてるのか?」
 全然似てない、そう言ってバッツを抱きすくめた自分の行動が信じられなくてスコールも笑った。なにがおかしいのか、また自分の腕の中で笑うバッツを見ていたら、本当に腹の底から笑いたいような気分になり、口元がつい笑顔になるのを感じた。二人してくつくつと笑う間に、音を立てて鼻に口付けられれば、返答するようにスコールはバッツの口の端に口付けた。
 ひょっとしたら、こうやってじわじわと彼に自分は変えられていくのかもしれない。言葉やしぐさ、そしてその手によって、毒が回るように。そんな予感を持ちながら、スコールは今一度目を瞑り、昼の授業を諦めるかどうか検討しはじめる。そして苦悩のためではない、今朝一度目の溜息を付いた。