Killing me softly with his song

 人もまばらな深夜1時に一人でメトロのホームに立つなんて、スコールには一年に一度あるかないかの事態だった。それこそルームメイトや、同級生たちに連れられ、昨日のように夜遊びに興じることもたまにはあるけれど、そんな時は決まっていつもそばに誰かがいる。けれど、今日は本当に一人きりで。だから、なんだか気が落ち着かないのはきっと深夜の外出のせいだ、そうスコールは思い込む事にした。あいつらが思っている様な理由じゃ、絶対にない。そう、絶対に。

――女か?

 まかないのジャンバラヤを持って部屋に帰り、すぐ出掛ける、と告げた時、にやっとそう笑ったのはサイファーだった。うるさいと言えば、へいへい、別にお前のプライベートの詮索なんかしねえよ、という言葉を返し、風呂上りなのか肩にかけたタオルの他にはアンダーウェア一枚という格好でビールを飲みながら、彼はTVでやっているニュース番組を注視しはじめる。
――まあ、スコールにも当然そういう事があってもおかしくないよな、楽しんでこいよな!

 スコールの持って帰ってきた件のジャンバラヤをマイクロウエーブで暖めながら、そう言ったゼルも分かっていない。
――いや、だから単に……知り合いの家で何か見ようと思って……
――デイヴィット・リンチはやめとけよ、寝るから。おれのとっておきのゾンビ映画コレクション、貸してやるよ。ほら。
 そういうとゼルは彼の自室に一旦下がると、ニッポンのビデオゲームを原作にしたゾンビ映画のパッケージをスコールに手渡したのだった。

――こいつ、チキンのくせにホラー映画なんか好きなんだもんなァ、笑っちまうよ、全く。
――あぁ? な、ん、だ、と……!

 お互いの言葉を聞くが早くルームメイト達は下品なハンドサインの応酬をはじめる。
 いつもどおりにサイファーがゼルにちょっかいをかけ、ゼルがそれに一々反応する。いつも通りだ。その様子に安堵したスコールは少しばかり笑みを浮かべつつ、DVDと財布だけ入れた皮の肩掛けかばんを背負って玄関へと向かい、ドアを開けようとする。

 その時、テレビを見ていたはずのサイファーがわざわざアンダーウェア一枚の格好で玄関までやってきて口にしたのがこんな言葉だったのだから、もう、思い切りドアを閉めるしかなかった。

――なあ、朝まで帰ってくるなよ。まあ、そのつもりだろうけどな。俺様は夜中に起こされるのが嫌いなんでね。

 ドアを閉めると、それまで耳にしていた快活にニュースを伝える声も生活音も、何もなかったみたいにミュートになる。聞こえるのは遠くの方でするサイレンの音くらい。廊下に立つと、自分の内から沸きあがる焦燥感に絶えかね、いやな静寂の中で、スコールは近くの壁を叩いて、あたった。
「くだらない冗談だ」と一蹴してしまえるサイファーの言う事なんかを気にしていたり、まるでハイスクールの女子生徒みたいに気持ちを逸らせている自分がみっともなくて仕方ないなんて、ぐちゃぐちゃと気にしている事すら苛立ちを増大させるみたいだった。
 多分、もう何も考えるべきじゃない。無駄だ。
 不毛な思考を中断するため、そう自分に言い聞かせ、アパートの階段を降り、外に出ると。まばらに立てられた電灯が目にまぶしい、薄暗い街路を歩き始めた。最寄のメトロの駅を目指して。
 それが十数分前。

 ホームに電車が滑り込んでくる。蛍光灯が灯る深夜のメトロの車内の人はまばらだ。
 車両に乗り込むとスコールは座席に脚を開いて座り、膝の間で手を組むと、俯きそれを見つめた。
一体どんな顔をして彼に会えばいいんだろう。気が付けば性懲りもなくそんなことばかり考えてしまっている。普通に会って、アクション映画を見ながら夜を明かすだけなのに。
 しかし、もし、駅のホームで待っている彼に近寄ってキスしたら、そのプランはどうなるだろう? 自分の腕で抱きすくめれば、彼は抱き返してくれるだろうか。ナンセンスだ。そんな妄想。ああ、おれはどうかしているだれかおれをとめてくれ――その思いとは裏腹に妄想は加速していく。

 ボトムを脱いでシャツとアンダーウェアだけになり、そのしなやかな足を晒したバッツ。ピアニストに向いた体のわりには大きくしっかりとした手を伸ばしてスコールに触れるバッツ。誘うみたいに自らの舌で唇を湿らせるバッツ。
 ほんとうにどうかしている!なんで今おれはこんなこと――着てるものを全部脱いで、ああスコール、来いよ、なんて言う彼――を想像しているんだろう。一体何がどうしたっていうんだ。あいつはただの客で、そうだ、うるさくちょっかいをかけてくるだけの客で――。

 目的の駅名を告げるアナウンスが聞こえ、車両のドアが開くと、スコールははっとして、ホームに駆け下りた。考えに囚われるうち、駅が近づいていることに気づきもしなかった。一度大きく深呼吸をしてから改札を目指す。
 改札を出た先にまだバッツはいなかった。
 少しまともになる時間が――。

 スコールがそう安堵し、息を付いたのと同時に耳に入ってきたのは、小さく歌っている聞き覚えのある声で。
彼が立っているそばの柱の陰から、かすかに聞こえた。確かめようと、そっと近寄ると、そこには、力の抜けたような、どこか頼りない雰囲気のバッツがそこにいた。どこかしどけなさすら感じる、上の空の目をした彼はスコールがいる事にまるで気づいていないようだった。
「おい」
 声をかけると、バッツは大きく目を見開き、スコールを見たきり何も言わなかった。それから首を振って、あ、ああ……なんて言葉を濁している。
「大分待たせたか?」
「ううん、さっき来たとこ……なあスコール、こんな事聞くのも変だけどさ、……おれ、おかしくなかった? 今」
「……いいや」
 目の前のスコールの言葉に答える彼はどこか狼狽しているようで、それは全然バッツらしくない、と思ったけれど、口には出せなかった。
 大体、この場所にくるまで、自分だってずいぶん平素の様子からおかしくなってしまっているのに。どうして自分がそんな事を言えただろう。
「うそつかなくたっていいんだぜ、……まあ、行こうか、スコール君」
 バッツの表情は少し、いつもの得意げな彼のそれに戻っていた。口笛を吹きながら地上へと向かう階段を昇る彼の背中をスコールは追いかけた。