Killing me softly with his song

 窓の外を見ると雪が降り始めていた。こんな時に放り出すのも可愛そうかもしれないが、仕方がない、とスコールは頷く。テーブルを回って、コーヒー1杯で粘っていた奴らのカップとソーサーを下げると、彼らは諦めたようにチップと代金を置いて、店を出て行く。さもなくば渋々もう一杯コーヒーを頼む奴もいた。誰も時間を持て余しているみたいだ。
 カウンターに座るピアニストも、多分そうなのだろう。
 下げてきた食器はシンク下の食器洗い機に突っ込む。前に洗ったものが乾いているのでそれを棚にしまっていると、その背中に再び声がかけられる。もう何も考えまい。そう思いながらも、バッツの方に顔を向けた。
「なあ、スコール。面白い話聞かせてくれよ」
 いっそ耳栓でも持参するべきなのだろうか。うんざりして首を横に振る。
「……ない」
 彼を楽しませるための面白い話なんてあってたまるか。ここ一週間ほどはずっとブルーだったのだ。そういえば昨日、セルフィがプロジェクターで自分たちのアパートの居間の壁に投影していた映像も、真っ青だった。映像作家の作品だと言っていたが、作家名は忘れた。そういえば今ごろ部屋は片付いたんだろうか。
 昨晩スコールの部屋にはサイファーの音楽関係の知人の男女や、セルフィやアーヴァイン、リノアやその他の美術学校の同級生たちが集まった。そこが彼らの手で即興のDJパーティー会場に仕立て上げられてしまったためにスコールは愛する平穏な週末の夜を諦めるしかなかった。法学を勉強している、ハイスクールの先輩だったキスティスも訪ねてきてくれたので、少しだけまともな話も出来たけれど、基本的には、騒音の中で味が分からなくなるまで酒を飲み、馬鹿みたいに騒いでるやつらを見るだけの日曜日だった。
 たしかに最初の数時間は刺激的だったけれど、延々とそれが続くのを面白いと思えるほど、スコールは彼らが熱狂するドイツ産のハードコアテクノやフランスの新進気鋭の音楽レーベルにも興味がなかった。
 気が付けばソファーで――そこが自分の部屋にも関わらず――縮こまって眠っていた。そして起きて待っていたのがあの惨状だ。思わず顔をしかめてしまう。
 腕を組んで時計を眺める。終業時間まではまだ大分ある。
「スコール、眉間に皺寄ってるぜ。どうかしたのか?」
「ばれた……いや、なんでもない」
 スコールは自分の口を塞いだ。この所の自分を悩ませていた原因、そして昨日のいかれた集まりの原因がつい、口をついて出そうになってしまったから。今でもまじまじと思い出せる。

――おまえ、何で今まで隠してたんだよ、今度、親父さん紹介してくれよな。
――今日はスコールが主賓よ、あれは歴史的な和解記念日だったんだから。有名写真家のラグナ・レウァールとその息子で才能溢れるペインター、スコール・レオンハートの。これであなたも活動しやすくなるんじゃない?
 昨晩スコールにそう言ったのは誰だったか。
 そうだ、ばれたのだ。

――私のギャラリーに絵を置いてる以上、スコールには有名になってもらわないと困るんだから!ポートフォリオも持ってきたし、少しでもアート関係の人脈広げないと、ね?
 一週間前の夜、スコールはそう言い放った、実家の画廊でギャラリスト見習いをしているリノアに引きずられるように、「あの」写真展のオープニングパーティーに無理矢理連れて行かれた。悪いことに彼女にラグナとの関係に付いて話していた事を失念していたが、当然彼女はそれを覚えていた。その結果がこうだ。

――おお、スコール、わが愛しの息子よ!……なんてな。よく来てくれたよ、まあ、せっかくだから話そうぜ、お、写真も久しぶりに撮るか? お前の写真も今回飾ったんだけどよー、かぁーいいぞう、へへへ
 自分の展覧会のオープニングパーティーにノーネクタイノージャケットで現れるくらいならまだ理解できる。しかし彼が身に着けていたのは着古したシャツとカジュアルなボトムで。さらにこの季節にサンダル履きだなんて信じたくもなかった。
 そんな姿で現れた彼の父親――ラグナは、スコールを見つけるやいなや、先程の台詞と共にその場で彼を抱きしめた。そして止めるのも聞かずに、彼を子供の頃の写真の前に立たせ、写真を撮った。

 自分でも思うところがあるからこそ公にしてこなかったのに、同級生やパーティーに来ていた人々にはもれなく自分とラグナとの関係を知られてしまったのは、本当に嫌だった。何よりラグナが父親面して自分に接する事がスコールには耐えられない。
 片手で顔を覆い、緩く首を振る。
 またそんなことを思い出してしまっている。時間は不可逆だ。起こってしまった事は仕方がないし、今更離れていた時間を埋めることも出来ない。それが分かっているのに、納得できない自分の子供っぽさも許せず、空いているほうの手を握り締める。
「ばれた? 何がばれたんだよ。お前、疲労困憊って顔してるぞ」
 目の前に座っているバッツは若干抑えたトーンの声で尋ねてくる。
 まさか心配しているのか? 彼が? 顔を覆っていた手を下ろすと、スコールは息を付く。
「ああ、それはいいんだ 昨日、部屋でパーティーがあって、それで…」
「へぇ…スコールもそんな事するんだな」
 意外だな、と呟けば、バッツは両手で頬杖をつく。
「いや、自分の趣味じゃない。そういうことは…」
「パスだ、だろ? まあ、たまにはそういうのだっていいだろ」
 息抜きになるだろ、という彼にはとても同意する気にはなれず、首を振る。
「……良くない。部屋は荒れるし、朝起きたらゴムは落ちてるし…ルームメイトはホモみたいに抱き合ってるし…」
 ふと見ると、ふうん、と相槌を打ったピアニストの目はスコールの方は見ておらず、彼の目線はカウンターに注がれている。
「そりゃあ災難だったな。ルームメイトって前に会ったあの刺青のヤツ?
 だけど、おれ、てっきりスコールは寛容なんだと思ってたよ、他人の性癖に関して。……まあ、分かんなくもないけど。スコール、お前かっこいいし、誰からも好かれそうだもんな。嫌な思いもしてそうだし」
 そこまで言い切ると、バッツは思い立ったようにコートのポケットから古い型の携帯電話を取り出し、チェックし始めた。
 二人の間に無言の時間が流れる。そんな事、ここ最近はなかった事だった。バッツ――彼はいつだって店にいる時はスコールにちょっかいをかけてくるし、本気か嘘か分からないことばかり言ってくるから。でも時々そんな行動の合間に、ふと無邪気なこどもみたいに純粋な部分が垣間見えることがある。そんな時はいつも、どう接するべきなのか分からなってしまって、混乱してしまう。今までは単純に、いつもおどけていて、人を食ったようなことばかり言う、変なヤツだと思ってきたのに。
 しかしいざ彼の関心が自分から逸れるのを目の当たりにして、戸惑いや寂しさ――認めたくないけれど――を感じるのは、一体どういうわけなんだろう。
 別に彼だって黙っていたい時はあるだろう。なのにどうして、何か言わなければ、と焦ってしまうのか。
 俯きがちになりながら、スコールは口を開いた。

「ああ……すまない。別におとしめるつもりはないんだ……そういう関係を……。ああ……。
  バッツ、おれが聞いていいのか分からないが、その……あんたも「そう」なのか?」
 さっきのすね方や、普段の冗談から何となくは感じてきたことだったけれど、いざ言葉にして確かめようとすると緊張のせいか少しばかり指先から血の気が引いていくのを感じた。
 他人から自分に向けられる好意の正体不明さは時々とても恐ろしくて、逃げ出したくなる。だけど自分の中に生まれた気持ちは確かめたいし、相手に聞いてみたい。矛盾しているのはよく分かっている。多分今しがたの質問は自分にとって遠まわしな――。

 カウンターに座ったバッツが返事するまで、ややしばらく間があった。
 どうやら来ていたメールを返信していたらしい。ああ、悪いな、待たせて、と彼が言った時、スコールは無意識に詰めていた息を吐く。バッツは顔を上げると少しだけ笑い、言葉を続けた。
「別におれがどんな男と寝ようと女と寝ようと別にスコールは困らないだろ? ここで話す分には。……それとも困る?」
 まあ、きっと試してみるのも多分悪くないよ、多分。軽く首を傾げ、そう言った彼の目は今度はしっかりとスコールを見ている。
「答えになってなかったよな。寝たのは多分、男の方が多いと思う。スコールは?」
「おれは……」
 見つめられて軽く息を呑んだ。躊躇を感じないわけではなかったが、答えなければフェアではないと思う。
 大体この話題は自分から振ったのだから。
 別にただ言えば良いだけだ――誰かと気軽に寝た事もなければ、ましてやまともに恋愛なんてしてきた事はないと。