僕らは悲しいほどに弱く、普通で、だからもしもの話をするけれど

暗い森の夜道を、子供がじゃれあうみたいに手に手を取って、駆けていく。時々ふざけすぎて脚をもつれさせたり、まったくひどいはしゃぎっぷりで。そんな風にしながら、セシルとフリオニールはこっそりと仲間たちの居る野営地から少しだけ離れていく。

『彼、ちょっと借りてもいいかな?』
『こんな時間に二人で散歩?』
 先程得物の手入れをしながら焚き火の傍でフリオニールと語り合っていた仲間に断りを入れた時、そういえば、話し相手の彼は意味ありげに笑っていたっけ。
そう、散歩だよ。あまり遅くならないように帰るから。ふーん、風邪引かないようにな。
そんな一連のやりとりを隣に立って聞いていたフリオニールは何を感じていただろう。仲間から隠すよう、後ろ手で密かに繋いだ彼の手が熱かったのを思い出す。

 この頃は誰の身にもはっきりと元の世界の記憶が戻り始めているようだった。その事からも最初はいつ仕舞いになるとも分からなかった混沌の軍勢とのこの戦いが良くも悪くも終わりに近づいているのを感じているのか、皆、先ほどの仲間とフリオニールのよう、何をするわけでもなく集まってはよく話をしている。
 自分達を召喚した女神が倒れた今、彼女が残してくれたわずかな力のみが、自分たち秩序の戦士をこの世界へと繋ぎとめていた。そんな折、誰かが言い出した「こうやって語り合い、互いに互いを覚えておけば、きっと何が起こっても大丈夫」というアイディアは確かに希望的観測でしかないかもしれない。けれどその言葉はしっかりと、消滅の不安と戦う今の自分達の拠り所となっている事をセシルは感じている。

  野営地から大分離れた森の中の手ごろな場所に落ち着けば、手指を絡めたまま、セシルはフリオニールと寄り添い、肩を並べて座った。何とはなしに頭上を見上げれば、元の居た世界で見るのとは様子の違う天体が一つだけぽっかりと浮かんでいる。
「セシルの世界には月は二つあるって前、言ってたよな」
 気がつけば隣の青年も同じように遠くの空を見ている。
「そうそう、だからね、最初はみんなの話を聞いて驚いちゃった。
月が一つだけしかないなんて」
視線の先にぼんやりと広がる赤い光は朝夕のそれではなく、目指す敵の本拠地から上がっているものだ。黒煙が揺らいで形作る影の中にはいつも、あの恐ろしい対敵たちを見る思いがする。斃される事無く、生き延びてこられたのは僥倖だ。しかし、折角二人で抜け出してきたというのに、始終そんな事を考えて息を詰めているのも上手くないだろう。軽くかぶりを振って、セシルは再びフリオニールに向き直った。
「ほら、また怖い顔をしているよ」
 笑ってそう告げれば、お前だって、とほんのちょっとだけ青年が不服そうにしたのもつかの間、口の端を上げ、まるで毛足の長い動物にするみたいな手つきでくしゃくしゃとセシルの髪を撫で回してくる。
 やったな、とふざけて彼の胸元目掛けて軽く飛び込んで行けば、不意にバランスが崩れて、取っ組み合った姿勢のまま二人とも転げてしまった。こうなるとどちらともなく笑い出してしまって、いよいよ収集がつかない。
 ともすると辛気臭くなりがちな時分もあったけれど、結局はこの世界で過ごす最後の日々が迫った今でも、伝承にあるような救世の英雄には程遠く、思い人と二人きりで過ごす時にはこんな風にじゃれあったり、もっとどうしようもない欲望を満たしあったりと、セシルはそんな事に喜びを見出していた。
取り戻した記憶が正しいなら、この世界に於いてのみならず、元の世界にいた頃も、戦いはいつも不可避の運命として自分達の目の前に立ちはだかっていたはずだ。身を裂く烈風や骨まで焼かれそうな灼熱波の只中、剣を、槍を、拳を奮い、命を賭して守るべきもののために道を進むしかなかった。そしてその定めの中にあっても、またどんな武器や身を守る鎧を得ても、何かを失う事を恐れる気持ちは決して消える事はなかった。自分が、仲間が死ぬのが怖い。そんな時、誰かの手が宥めるように差し伸べられ、それが自分に触れれば、どうしようもなくほっとして、情けなく子どもみたいに泣いた。時にはくだらない冗談も沢山言いあって笑ったり。本当に悲しくなるくらい、自分達は普通の人間だ。目の前で破顔している青年と、それに心慰められる自分自身に改めてセシルは思った。