Happy Birthday for my twin brother!

 日付変更の時刻が近づいてもなお、廊下を挟んだ向かいの部屋のドア越しにその大音響は流れ続けていた。

彼のビジネスパートナーで、そして双子の片割れでもある兄の気に入りの交響曲。言葉少なに二人で家路に付き、いつもなら「子供みたいにいつまでもそんな健康を害するばかりのものを喜んで召し上がるのはおやめなさい」と言って没収しようとするジャンクフードを自ら口にした後、シャワーも浴びずに兄が自室に戻っていってから、ずっと。一歩も部屋から出てこない。それがもう数時間。

 年を重ねてから二人別々の事をして過ごすのにも大分慣れてきたけれど、やはりふとした時にちょっかいを掛ける相手がいないというのはつまらないものだ。ちょうど自室のベットに寝転がって一人、パイントサイズのバニラアイスをまるごと食べるのにも飽きてきた。それに明日はちょっと、特別だし。

「ねー、ノボリ、ノーボーリー、開けていい? あけるよー」
 片割れの部屋のドアのノックしてすぐ、ドアノブに手を掛け、それを回す。
 扉の向こう側には先程の自分と同じようにベットの上でグラスを傾けている兄がいた。自分と生き写しの――「でも、ちゃんと見たら全然ちがうんだよ! ほら、よく見て!」なんて言っても周りの人にはよくわからないみたい――その人。ベットサイドテーブルに酒瓶を据え、Yシャツと下着だけなんて姿で晩酌する時にも、先に脱いだ制服のコートとボトムはきちんと近くの椅子の上に畳んで置いておくのが何とも彼らしいなあとぼんやりと思う。
「また着替えないまま、ベットに入っていたんですか? おやめくださいましと何度も申し上げたでしょう? ふふ、まったくあなたって人は」
 彼と同じようにシャツとパンツと、それから中途半端に靴下を履いたままのクダリを見る兄の姿は想定していたよりも元気そうだし、それから何故だかちょっとにこにこしてて上機嫌だしで、若干拍子抜けする。さすがに「こんな日」は少し落ち込んでいるかもと思って用意してきたジョークも、これではきっと「こうかはいまひとつ」くらいになっちゃうかなあ、なんて考えながらも話しかけてみる。
「ずっとへやから出てこないからさあ、ノボリ、一人えっちでもしてるのかなーって、おもってた、僕」
「その方が良かったですか? ご期待に沿えず何とも申し訳ない」
 特に気分を害した様子もなく、目を伏せて微笑んだベットの上のその人の口元に、クダリは自分が抱えるカップから大匙いっぱいにアイスクリームをすくって運んでやる。すると素直に、夜中にアイスクリームは太りますよ、なんて言いながらも躊躇せずにそれを口にするのだから! いつもなら乗務前の晩には禁止されているアルコール――だから当然明日は非番なのだけど――はおろか、甘い物だって大して口にしようとはしないのに。

「ねえ、ノボリ、ひょっとして酔っ払ってる?」
「それが何か問題でも?」
「……めずらしいよねー、やっぱりショックだった? 負けちゃったの。今日」

 ぼくたちが。しかも明日は誕生日だっていうのにさ! そう言いながらアイスクリームカップを抱えてベットに上がり、片割れの隣に座れば、その質問の答えが返ってくるより先に、もう一口わたくしにもくださいまし、とスプーンを差し出されたのだから、クダリは思わず閉口してしまう。
「……いいえ、むしろすこぶるいい気分ですよ。あんなに心が躍った戦いは本当に久しぶりでしたし、それに……」
「それに?」
「新たな「勝利」という目指すべき地平がそこにあること、わたくし達も今よりもっと強くなれる事が分かったのですから、次の一年へ向かう通過駅としては極上の一日でした。きっとわたくしにも、クダリ、あなたにとっても」
「そうだねえ、」
 負けたのが、自分たちよりずっと若い女の子だったのにびっくりした事。接戦だったし、あと少し何かが違っていたら「いいしあいだったねー」とか言いながら今頃機嫌よく過ごしていられたかもしれないのがちょっと悔しい事。もっと素直に、ノボリだって言いたいこと言っちゃえばいいのにって思ってるって事。言いたい事は色々あるけれど、きっと告げるまでもなく同じ事を感じている気がして、結局言葉には出来なかった。もし本当になんにも気にしていなければ、何時間も一人で部屋に篭るなんてこと、誰もする訳がないのだから。だけど反省の時間はもうオシマイ。こんな風に深刻に考え込んだりするのは、ノボリはどうだか分からないけれど、少なくともクダリ自身の性にはあんまり、合わない気がしているから。
 そんなアンニュイな気分を吹き飛ばすべく「ハイ、あげるー」ともう一口分、手元のカップからアイスクリームを掬えば、そのスプーンを差し出す前にそれに食いつかれ、これまた若干驚く。
「ねえ、あんまりそれ沢山食べない方がいいよ、だってほら、ノボリのお腹に肉ついちゃったら、僕かなしい」
「あなたこそ最近重たくなりましたよ、少し控えるかもっと運動なさいまし」
「ふとってない! 全部筋肉! あーもうそう言って僕の分食べる気でしょ、って、あー! ひどい! ノボリ僕のハーゲンダッツとった!」
 ついにカップごと兄にアイスクリームを奪われて抗議の声を上げるも、返ってくるのは冗談めかした「これは没収します」なんて返事だけだ。

「クダリ」
「なに? ノボリ」
「あちらをご覧ください」
 兄が指差した先の壁にはデジタル表示の時計が掛かっている。秒単位まで表示するそれが示す時刻は23時59分50秒。色々話しているうちにすっかり「それ」の事を忘れていたのに気がついた時には、すでに日付変更まで10秒間を切っていた。
 十数えるうちに0時を迎え、時計の日付が一日進んだ瞬間、不意に横からクダリの頬に口付けが落ちた。
「……お誕生日おめでとうございます、クダリ」
 すっかりどうして片割れの部屋を訪れたのか、その目的を忘れてしまっていた。二人で暮らしはじめてからはいつも、こうやって誕生日になった瞬間に祝いの言葉を交わしているのだから今年も忘れないように、と彼の部屋の戸を叩いたのに。
「ふふ、ノボリもおめでとう!」
 目を瞑って、片割れの唇に自分のそれを合わせると、かすかにアイスクリームのそれとは違う甘い風味がする気がした。先程まで彼が飲んでいた酒の味だろうか。
「ねえ、僕もノボリが飲んでいたそれ、ちょっと欲しいなー そしたらさ、それから全然僕、ふとってないっていうの、見せてあげてもいいよ、ほら」
 シャツの胸元のボタンに手を掛けて一つだけ外すと、にやっとノボリが笑った気がした。
「……クダリ、起きたら、今日は久しぶりに二人で出かけませんか? 何とも相済みませんが、あなたへの贈り物を買う時間がなかったもので。だからまあ、その……今日はほどほどにしましょう、色々と」
 いろいろ、と。彼の言葉の意図する所は当然分かっているけれど、その響きの遠まわしな感じが何だか可笑しくて。手渡されたグラスに酒が注がれていくのを眺めながら、クダリも微笑んだ。

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