バッドテイスト

 バロン王国に待望の飛空艇団が結成されるその日、世襲制を採っている竜騎士団はもちろん、近年発足された魔導士団、加えて、貴族の血を引かずとも一般の兵士が入団することができる、海兵団・陸兵団の者までもが船渠ドックに集められた。
 除幕式が始まると、それまで覆いをかけられていた飛空艇の姿が明らかになり、皆一様に真新しいその船を、あるものは憧れを持って、そしてまた別のものは見慣れぬ様子で、その巨大な船体を見上げた。
 「赤い翼」という名が示す通り、飛空艇団が駆るという新造船の船体は、美しい深紅の色に染め上げられており、また、その翼にも羽を模した赤い紋章が描かれていた。
 ご立派なその飛空艇の乗船者として選ばれ、今、その船の前に立つ兵士たちは、身分こそ高くはないが、比類なき戦闘能力を持つ者たちばかりだった。
 ふん、俺達には一生縁のない話だぜ。陸兵隊の列の後ろの方から、そんなぼやきが聞こえてきた頃、一等最後にその飛空艇団を指揮する団長の名が呼ばれる。
 「赤い翼」の指揮者として選出されたその青年の容貌には、まだ幼さが少し残っていた。薔薇色の唇に、雪のように白く、透き通った肌。ごく短く整えられた銀の髪と、強い意志を感じさせる瞳。 
真っ黒な鎧を身に纏い、悪鬼を模した兜を胸の前で抱える彼を眺める人々の中には、少なからずその顔に見覚えのある者もいた。

――弱冠、齢十八にして空挺部隊の隊長様か。
――暗黒騎士になり、おっ死んだものと思ってたのに。

雑兵団と呼ばれ、近衛兵団を筆頭とする貴族たちに蔑まれることが常である陸兵隊の、とある小隊に所属していた彼らは、その青年の髪が肩に届くか届かないかくらいの長さだった頃、その眩い銀の髪が、砂嵐の中でもつれ、額に張り付くのを目にしていた。
 そしてバロン王の寵児である彼、セシル・ハーヴィがその白くつるりとした脇に、美しい髪に、汚い性器を擦り付けられるのを、また、前から後ろからそれを捻じ込まれ、苦しげに呻くのを見た。
――「高きものハーヴィ」なんて、ご大層な名前だったからなァ。
――俺達とは、住む世界がハナから違ったんだろうさ。
全くの手違いから、ほんのひと時、神から与えられた贈り物を取り上げられたような諦念と卑屈さが滲む声で、誰かがぽつりと呟いた。
 セシル・ハーヴィが抜けた穴を埋め、小隊長の位置に収まった、誰かに告げるべき大層な名など持たない青年は、仲間たちのその言葉を聞き、複雑な表情を浮かべた。
 
 ◆

 あれは、小隊長だったセシル――しがない自分でも、心の中でそう呼ぶことくらいは許されるだろうか――が陸兵隊から姿を消す前の、ある夏の出来事だった。
 飛空艇も、荷を持たせるチョコボもない、陸路での旅の中はいつでも大変だったけれど、一歩踏み出すごとにさらさらとした砂に足を取られる砂漠での旅は特に辛いものだったと記憶している。
その日は、ダムシアン近郊から砂の街カイポを目指していたが、日没が近づき、ちょうど砂漠の中間地点で野営を張ることになった。
夕方になってもなお、苛烈さを失わない太陽に照らされながら、若い隊員達で苦心しながら、いくつかの小隊が収まる、大型テントを設営した。
セシルもその時には小隊長の位を得ていたというのに、年嵩である他の小隊長とは異なり、下っ端に設営を任せてふんぞり返ることもなく、自ら進んで作業を手伝っていたのが、印象に残っていた。

夜になると、カンテラが照らす野営用の天幕の中、少年といっても差し支えのない年齢の兵士たちが雑魚寝をする。テントの中へと引っ込むと、遠く砂が舞い上がる音が時々聞こえた。
テントでの若い兵士たちの過ごし方は様々だった。
砂漠の夜の寒さを紛らわすためにスキットルに入れた安酒をかっ食らう者や、覚えたばかりの煙草をおっかなびっくりふかす者。皆に背を向け、恋人の手紙を眺めて、ニヤついてる奴もいれば、賭けトランプなんかに興じる一団もいた。
兵学校を出てしばらく経ったとはいえ、まだ皆子供みたいなもので、過ごし方がすぐに変わるわけではない。話題に上る話のタネも学生時代と大きく変わり映えするものではなかった。
大体が「ああ、早く街に帰りたい」とか「あれが食べたい」「早く非番になって遊びたい」とかそんなもので。
 くだらない話を繰り広げるうち、不意に天幕の入り口が開いた。

 そこに立っていたのはセシルだった。先ほどテントの外に出て行ったのを見かけたけれど、ずいぶん長いこと彼は戸外にいたようだった。
「遅かったじゃねえか、ハーヴィ」
 セシルとは別の隊の、年嵩の兵士が声をかけるが、返事はない。
そういえば彼の話も皆の気に入りの話題だった。スキャンダルを体現したような生い立ちと、目を引く容貌。小隊長となった今も、少しもその潔癖さを失わない横顔。セシルの話が話題に上らない日はなかった、
今、兵士達の輪に加わり、それを眺める「僕」は、兵学校時代、セシルの一年上級だったので、噂や憶測で彼を判断し、好奇の目で眺めるやつらより、少しは彼について詳しかった。
 セシルの高潔さは、これから他の兵士から飛び出すだろう、自分をからかい、ひいては陛下をも侮辱するような発言を決して許さないだろう。それでも何か一言、忠告せずにはいられなかった。
「よくあることだろ、こんなこと。気にしないほうがいい」
ちょっとしたことでからかわれ、仕事を押し付けられたり、女の服を着てダンスさせられたり。そんなこと、若い兵士ならみんな、させられていることだ。
セシルだけが特別ってわけじゃない。
「わかっています、もちろん」
そう呟くセシルの目は、いつだって今ここではない、遠くを見ていた。
皆が憧れ、なりたがる小隊長の位を得た今でも、自分の持っているものなど目指すものに比べたらなんでもないものだ、という渇望感や不満を暗にその瞳に宿しているのを陸兵隊の皆は知っていた。
彼が隊長として優秀であり、皆を思いやる、優しく勤勉な人間であるのを実感していても、その目を見れば、彼が自分たちのような庶民といること自体が間違いであることが自ずと思いだしてしまうことが、辛かった。
 先ほどからセシルにしつこく付きまとっている、年嵩の歯並びの悪い男は、わざと恭しく会釈をし、こんなことを宣う。
「ほら、お前たち! お姫様のお帰りだぞォ! どうやらお城育ちのお嬢さんは、ひとりじゃ小便もろくできないらしいぞ。お前たち、手伝ってさしあげたらどうだ?」
「やめろよ、殴られるぞ」
 彼と同い年の兵士が慌てて止めに入る。面倒になりそうな気配を察知したのか。
セシルといえば、入隊してしばらくもたたないうちに営巣入りした経歴の持ち主だ。しかし、兵学校時代には、そんなに気性が荒いようには見えなかった。あるいはハイウインドの横を付いて歩いている時は、ただ彼は満たされていたのかも、今とは違って。
気が大きくなっているのか、仲間が止めても例の男は
なおもしゃべり続けた。その頃にはほとんどの仲間たちはトランプも、酒をかっ食らうことも、密談も止め、二人の様子に見に行っているようだった。
「気にするもんか、どうせ何をしたってお咎めなしだろ? こんなところにやられるくらいだ、きっと陛下にお払い箱にされたんだろう、なあ、ハーヴィ。どうして 近衛兵にならなかったんだ? ん? ここじゃなくたってお友達の竜騎士団とかコネでいくらでも入れただろ? なんで、こんなくそったれ雑兵団にお前がいるんだよ」
陸兵隊にいるのは、悪たれがすぎて親許では手に負えず兵学校に遣られた子供や、食い扶持を稼ぐため、なんとか生きていくために仕方なく入ったもの、自分を含めそんな人間ばかりなのだ。セシルのように家名を持つものなど、ほとんどいない。だから――。
高きものハーヴィ、ここはお前みたいな「ご大層」な名前のやつが入るような場所じゃないんだよォ」
その言葉を聞き、誰もが同じような瞳でセシルを見た。まるで手に入らないものに憧れ、それゆえにうんと憎んでいるような、暗い色の炎をその目に宿して。
 日頃の鬱屈した感情をついに発散するように、その兵士は、他の仲間にセシルの腕を後ろから掴ませ、床に座らせると、自分は正面から彼の前髪を強く掴み、顔を上にあげさせる。
 髪を掴まれたセシルの、きっ、と睨む瞳には、昏い目をした彼らに負けず劣らず、強い意志が宿る。自分を見下す男の顔に唾をかけるが、相手の気に障ったのか、その頬を打たれてしまう。
――や、止めないか! 全員軍紀違反で営巣入り、いや悪ければ除隊だぞ。困るだろ?
 セシルを手ひどく扱う一団にそう告げれば、彼らはひどくめんどくさそうにこちらを見、それから――。

 咄嗟のことで何が起きたのかわからなかった。
気が付いた時には、自分や彼らに反抗した何人かは 床に転がされていた。
きっと強く蹴られたか、殴られでもしたんだろう。体に加えられた衝撃の強さに呻き、動けないうちに荒縄で 後ろ手に縛られ、ギャラリーとして事の顛末を傍観することしかできなくなってしまった。
誰か、上官でも別の隊の人間でもいいから、早く来てくれ――こう願わずにはいられなかった。
 一方その頃、セシルは変わらず抵抗を続けていたが、何やらズボンのポケットに入っているのを感づかれた途端、ますます激しく抗い始める。
「やめてくれ、こんなことして一体何に――」
「誰か、足押さえてろ! どれどれ……アヒャヒャヒャ、これはこれは! 傑作だぞ、お前たち」
 ポケットから取り出した手紙らしきものを手にし、 さも可笑しそうに笑う男は、まるで好きな女の子にちょっかい掛けるみたいな態度で。
そういえばこいつもいつか言ってたっけ。
――なあ、ハーヴィってさ、どんな奴なんだ?

最初はただ、言葉を交わしてみたがっていただけだったのに、何が歯車を狂わせてしまったのだろう。
ただ一つ確かなのは、彼らが抱いていた興味や憧れ、そしてぼんやりとした恋慕も、すべて弾けて消え、もう引き返せやしないところまで来てしまったということだけだ。

「はは、『カイン、お前がいてくれたら、何度もそう思った』か。な、面白いだろ?」
やめろ、と叫び、手紙を奪い返そうとするセシルの頬が、続いた兵士の言葉に、さっと染まっていく。
「お前ハイウインドとデキてたんだな、見た目通りってわけだ。麗しのセシル・ハーヴィ殿にはあんな立派な恋人がいるんだから、そりゃ俺達にそっけなくて当然だよなァ!」
「――そんなんじゃないッ、こんな下衆の勘繰りをして楽しいか? いいから返して……返せ、このっ」
手紙をひらひらさせる男にセシルは跳びかかろうとするが、二人の男によって両腕を後ろからしっかりとつかまれており、それも叶わない。
「そうだなぁ、返してやってもいい」
一瞬、希望を見出したセシルの瞳は、その後すぐに絶望と怒りで昏くなる。
「でも、お前みたいにお高くとまってる奴には、こんなゴミ溜めに相応しい態度を身に着けられるよう、お勉強が必要だよな?」
セシルに近づき、不出来な生徒に言い含めるように、男は顔を近づけると、その銀の美しい髪を撫でた。
「遠征続きでこちとら溜まってるんだ。俺達のくっせえちんぽを上手に咥え込めたら、ご褒美をやるよ」
 続いて、抵抗する隙をついて、鼻腔に何かが宛がわれる。鈍く銀色に光る、口紅のような大きさのそれは嗅ぎ薬の容器だろうか。
「――な、に、を、した?」
むせながら、そう問う人の青い瞳は、すでにとろんとし始めている。
「なに、ちょっとしたおまじないだよ。さあ、一張羅のシャツ破かれたくなきゃ自分で脱げよ、セシル・ハーヴィ」
――媚薬か。それも催眠効果のある、やっかいなもの。
 その考えを裏付けるように、先ほどまで暴れていたはずのセシルは、甲斐甲斐しく言いつけを守る子供のように、文句一つ言わず、身に纏っていた白いシャツのボタンに手を掛け始めた。

 
 『それ』が始まってから、輪に加わっているもの以外、誰も口がきけなかった。あの、清廉で高潔なセシル・ハーヴィが膝を付き、お菓子でも口にするみたいに、ところどころ恥垢の付いた男性器を、うつろな目をして、しゃぶっている。
「歯ァ立てんなよ、まあ心配はいらねえか……ずいぶん上手だもんな、一体どこでこんなもん覚えたんだ?」
「お前ばっかりずるいぞ、俺達にも代われよ」
「今いいとこなんだ、お綺麗な髪にでも擦りつけてみろよ、案外具合がいいかもしれねェ」
 じゃあ、そうするよッ、というが早く、あぶれた兵士が銀色の長い髪を手に取り、それに筋立つ性器を擦り付ける。髪を引っ張られ、一瞬困ったような顔をセシルは浮かべるが、激昂することもなく、ただそれを受け入れたようだった。
 艶やかな髪を手にした男は、そのつるりとした上品な質感に息を荒くしながら、だらだらと溢れる先走りと共に陰茎を扱いていく。
「ああ……これが陛下のお気に入りの味か。髪の毛で扱くだけで男を善くするなんて、全く、頭の先からつま先まで、いやらしい男だよ、こいつは――ウッ、」
 その時、堪え切れなかったのか、勢いよく白濁が性器の先から飛び出し、美しい髪を、その頬を汚していく。
「おい、早かったじゃねえか、これだから早漏は」
「う、うるせえ、」
「出ちまったならとっとと代われよ、おれはじゃあ……」
 別の男の性器に手を添えるセシルの白い腕の根本、少しも毛の生えていない、つるりとした脇に、先ほどの男をどかした別の兵士は皮のかむった、お世辞にも大きいとは言えない、不格好な性器を沿わせる。
「少しこっちの手、貸せよ」
 片方の手を下ろさせ、ぴったりとした隙間を作ると、男はそこを目掛けて、腰をへこへこと間抜けに降り始める。
「それなら手コキのほうがマシじゃねえのか?」
「うるせえな、他人の勝手だろ」
 甘い砂糖に蟻が群がるように、それまで手持無沙汰にしていた男たちもおのおの性器を下履きから取り出し、セシルの体のあちこちに擦りつけていく。
男たちにたかられ、髪や脇、太もも、尻たぶの間など、性器を受け止められそうなところにはすべて性器を宛がわれたセシルは、口淫のせいなのか、それともむせ返るような雄の匂いのせいなのか、時々苦しそうに呻き、いやいやをするように頭を振る。
口を性器で塞いだ男は、上あごや頬肉がその性器に 当たる感覚に心地よいのか、何かがこみ上げるのを堪える表情をした。そして、「そろそろ、あっちの方も味見させてもらうぜ」と呟けば、口腔から性器を引き抜き、背中側に回っていった。
つかの間、口での奉仕から解放されたセシルは、我慢汁で汚された、その白い指を唇で清めようとする。そして、別の男が「まだまだ休ませねえよ」と、待ちくたびれてぱんぱんの性器を差し出すのを、無感情の目で見つめていた。
こんなにひどいことが目の前で行われているのに、 どうすることもできない。
動けない自分の無力さを呪っていた時、同じように反抗した仲間が、少しずつではあるが、手の内に隠していた小刀で縄をやするように切りながら、脱出を試みているのが目に入った。
できるだけ早くそれが終わるように祈りつつ、本来であれば目にするべきではない、セシルの様子を眺めた。

 最初にセシルにつっかかっていった男が、誰かが女遊びのために買っただろう香油を尻たぶの奥の陰った場所に塗り込める。
「こんなんしなくても、もう入りそうなくらい仕上がってるみたいだけどな、このやらしい穴はさ。少し指を入れたくらいでヒクヒクしやがる、誘ってんのか? あんな気高い顔をしておいて、とんだ好きものだったんだな」
 普段の彼であれば、一も二もなく殴りかかっている セリフにも反応はなく、むしろ後ろから与えられる不躾な刺激に、時々漏れ聞こえる声に甘さが混じりはじめる。
「指の一本や二本なら余裕で咥え込むみてえだが、これはどうだ?」
 いよいよ辛抱たまらないといった様子で、男はその秘所に性器を宛がい、ぐっと腰を前へと動かした。
 これまでも一層、切なそうな声をセシルは上げる。体を捩り、その快感から逃れようとするが、前も後ろも性器に蹂躙され、逃げ場などあるはずがなかった。
 後ろから激しく突かれる度、あらゆる場所にどろっとした、臭い精子をかけられてもなお、清廉な雰囲気を失わない、一糸まとわぬ体をセシルは震わせる。
 すでに小さく達してしまったのか、天幕の床にはとろりとした水たまりが出来ている。
 しかし、その感じ方も、愛する人と体を重ねる喜びや高揚などが抜け落ちた、ただただ味気ない、生理的なものに見えた。
 そして、件の男も時々、目の前の白い尻を手で張りながら、抽送を繰り返すうち、達してしまったのか、不意に体を震わせる。ずるりと性器を引き抜いた男は、征服感をあらわにした笑みを浮かべていた。 
 これ以上こんなものを見ていたら、頭がおかしくなりそうだ、と思ったその瞬間、先ほどから脱出を試みていた仲間がついに縄を抜けた。
 いまや見張りまでもがセシルを囲み、「それ」に夢中になっている。その隙をついて、仲間は戸外へと走り出す。
「あっ、あいつ、逃げやがった」
「――まずいことになったな、どうする」
「ひとまず、脱走するしかねえだろうさ。頃合いを見て、軍には戻りゃあいい。どうせ、こいつは見捨てられたのさ、今だけ何とか乗り切れば、お咎めなしさ」
 荒く息をしたまま、一団は急いで服を身に着け、手の届く範囲にある荷物をとりあえず掴み、天幕の外へと逃げだしていった。
 突然訪れた幕切れの中、裸のまま床に放られたセシル・ハーヴィの目は、もう何も見ていなかった。

 それがあの夏の日の顛末。
 手頃な毛布を掛けられ、目が覚めるまで医務室に保護されていたはずのセシルは、それきり隊には帰ってこなかった。しばらくして「暗黒騎士として選ばれたらしい」
という噂が流れ始め、誰もが彼の身の破滅を確信した。
 ところが、だ。
 彼は生きていた。しかも、その名にふさわしい地位を得て、華々しくその姿をかつての仲間に見せつけたのだ。
 騒動の後、一度は隊を離れていた者たちは、ほとぼりが覚めた後、少しの営巣入りを経て、何事もなかったかのように復帰した。
一体これから、彼らがどんな報復を受けるのか、あの夜の出来事を目にしたものは皆、興味を持っていたが、飛空艇団の結成発表後も特に沙汰はないようだった。
 代わってその頃、ちょっとした流言がバロンの城下町で聞かれるようになった。
路地裏や連れ込み宿、一目のないところに『命には別条ないが、精気を抜かれたような状態で』若い男たちが捨て置かれる事件が増えていると。
 夢魔サキュバスでもあるまいし、そんなことが生身の人間にできるはずがない。誰もが酔っ払い過ぎた者どもの戯言だと切り捨てていた。そう、自分も。
体験するまでは、まるで信じることができなかった。
あのセシルが、高潔で、汚されることのない美しい男が、自ら進んで誇りを捨てて懇願し、わざと男に汚されることを望むなんて。

 事が起きたのは、「赤い翼」の結成式からひと月が過ぎようとする頃だった。
その日、陸兵隊の上官に「話がある」と呼び出され、何故か普段は足を踏み入れることのない飛空艇団の詰め所に連れていかれた。
「今の隊で長く活躍してくれている優秀な人間だ。今後は『赤い翼』で鍛えてやってくれ」
「大隊長、感謝します」
 セシルは、大隊長に会釈すると、まだ事情が呑み込めていない自分に「君を赤い翼の一員として加えたいんだ」と穏やかな笑みを浮かべ、告げた。
 想像もしなかった出来事に、思わず言葉が出なかった。嬉しさもあったが、それ以上に「あの」事件を知るはずの自分をなぜ隊に加えようとするのかが理解できない。
「あ、あの……自分のようなものでは、実力不足では、」
「身分やこれまでの経験から気後れしているなら、謙遜する必要はないよ。僕は――近くで君の力をしっかり 見てきたから」
 そう告げ、自分の肩に触れたセシルの言葉はどこまでも優しく、それに何か言外の意図が含まれているとは、思えなかった。
 
 大隊長が帰っていった後、セシルと自分の他には誰もいない詰め所に残り、本当のところを問うてみた。
 なぜ、セシルと同じ小隊長を務めたとは言え、自分のような身分も実力も十分とは言えないものを、隊に招きいれたのか。
「その……、あの時、あなたを助けることができなかった自分にその罪を自覚させようと、このように呼びつけたのですか……?」
 自分の言葉を聞き、「赤い翼」のセシルは、きょとんとした表情を浮かべたあと、それが何でもないことのように微笑み、首を振った。
「違うよ、そんな風に思わせて悪かった。強いて言うなら、その逆かな――君の良心と、口の堅さに賭けてみようと思ったんだ。僕たちの任務は、飛空艇を用いる以外の隠密
活動もあるから。信用が置ける人間が必要なんだ」
 彼の口から語られた言葉は、確かに納得の行くものではあった。それでも、常人ならば、自分の忌むべき過去を知る人間を側に置くなんて危なっかしいことをするものだろうか――そんな疑念が浮かんだ瞬間、かつて白濁にまみれていたあの白く、美しい手が自分の頬に伸びる。
「ねえ、知ってる? 暗黒剣って、すごくお腹が空くんだ。君のも、僕に寄こしてくれる?」
 突然、何か冷たく、柔らかなものが唇に触れる。それがセシルの唇であることに気づくのに、さほど時間はかからなかった。
「どうして、こんなこと」
 呆然とする自分の顔を見て、セシルは彼自身が何をしようとしていたのか、たった今気づいたような、はっとした表情を浮かべ、それから自嘲的に小さく笑う。
「君のせいじゃないんだ、本当に……だけど時々、どうしても、こんな風に抑えられなくなってしまう時があるんだ、『衝動』を。今ならまだ間に合う、だから逃げて――」
 その言葉に、ただならぬものを感じ、出入口の方を示した彼に従うように詰め所を後にしようとした。
だが、自分が逃げたとて、セシルはその『衝動』のままに城下町に繰り出し、このところの噂が示すように、また誰かの精気を奪いにいってしまうのではないか。
そんなことが露見すれば、せっかく彼が手に入れた部隊長の地位も危うくなってしまうかもしれない。彼にろくに名前を呼んでもらんだことのない、ただ少し関わり合いをもっただけの自分が心配するようなことではないけれど。
 いつか、凌辱の果て、一人置き去りにされた彼の姿が頭に浮かぶ。暗黒剣と、かつて起きた事、そしてこれから 起こることにどんな関わりがあるかはわからないが、「高きもの」がみじめな姿を晒すことを、もう許してはならない。そんな気がした。
「どう、して……」
一日の訓練がとうに終わり、もう誰も戻ってこないだろう詰め所の扉の内鍵を閉める。
どうして、というその言葉に答える言葉は、自分だって持ち合わせていなかった。
 

 詰め所のカーテンを閉めきり、誰の耳や目にも決して、その音や姿が届かないようにする。
少し前まで上官とその部下だったというのに、そんなことも忘れ、服を脱がせあい、息を荒くし、お互いの唇を、舌を、唾液を味わう。一体何をしにここへ来たのか。混乱する頭は、甘く痺れ始める。路地裏に転がされていた奴らも、こんな思いをしていたのか。
 自分を壁に立たせ、開かせた脚の間にはセシルがいる。口づけだけでは勃ち上がってしまった性器に頬すりし、包皮を剥き、むわっとした汗の匂いがするそこを、厭うことなく軽く口をすぼめて咥えこむ。
 恋人との情交のように、甘い言葉はないが、脇目も振らず美しい男が陰茎にむしゃぶりつく姿を見ると、弥が上にも劣情が高まる。
こうしている間にも熱く湿った口腔が、誘うように淫靡に動く舌が、剥かれて敏感になった亀頭を責め立て続ける。
こんないやらしいことをしているのに、その顔は少しも清潔感を失っておらず、まるで俗っぽく見えない。例えはおかしいが、聖女というものがいるならこんな風なのかもしれない。
 だが、逆にその涼しい顔が、加虐心に火をつけるのも理解できる。
 もっと、必死に、息も絶え絶えになるくらい、その目に涙が滲むほどに責め立てたい。
 そう思った時には、彼の、セシルの頭を掴み、性器を その喉奥まで深く突き入れていた。苦しそうな呻きが聞こえ、彼の顔を覗きこめば、許可を出したつもりだろうか、
その目元にはわずかに微笑みが浮かんでいた。
「こんな時まで、余裕のつもりですか。でも――」
 そういうのが一等、征服欲を煽るのだ、と告げようとしたが、できなかった。突き抜ける、思わず目がくらむような圧倒的な性感を堪えることができず、セシルの狭くなった喉の奥に、溜まりに溜まった濃い精子をとぷとぷと注ぎ込んでいた。
 手荒い性交に慣れているような、さしものセシルも、これには苦しそうに呻いたかと思えば、苦悶の表情とも恍惚の表情とも取れる顔を浮かべつつ、まるで乾いた喉を潤すように、どろっとした白濁を飲み干していく。
 こくこくと喉を動かし、口の中に溜まったそれを全て飲み下したと思えば、今度はまだ亀頭から雫のように こぼれようとする精液も、甘い蜜かなんかを吸うように、うっとりと舌なめずりをしながら、舐めとっていく。
 これはほんとうに、あのセシルなんだろうか。
 皆が憧れるも手が届かず、羞恥や気後れ、見当違いの怒りを抱きながら、見上げたはずの、あの。
「これで終わり……じゃないよね? もっと愉しませて、満たしてよ」
こんなの全然足りない、という具合にセシルは挑発的に呟き、こちらを見上げる。そうして、少しばかり萎びた性器を手に取れば、そのなだらかな胸を少し寄せながら、肉と肉の間にそれを挟み、擦りつける。
しょせん男の胸など、と最初は思っていたが、女のものとは違う、弾力のある、あたたかな肉に挟まれるのは案外具合がいい。そのうちにまた硬度を取り戻した性器を見れば、セシルは立ち上がり、自分の肩に顎を預け、抱き付くような姿勢を取る。
 それは、甘えたくなったわけではなく、どうやら性器を太ももで挟む、素股の姿勢を取ろうとしたようだ。
「――ずいぶんと勿体ぶるんですね」
「そう? ゆっくり愉しみたいだけだよ、僕は。それとも君はとっとと終わらせたいの?」
 いや、と自分が口ごもれば、それなら仰せのままに、とその肉感的な太ももをぴっちりと彼は閉じ、粘度を持った先走りが出始めた陰茎を、柔らかい太ももと尻肉で包み込む。
 少しずつ速度をつけて腰を動かせば、まるで腔内に包まれているような圧迫感を感じ、下腹部が重くなる。
気が逸りそうになるのを、後ろから添えられたセシルの手が制止する。自分のペースで思う様腰を振ることができず、少し苛立ちを感じないこともなかったが、我慢汁のせいで滑りがよくなったそこを擦れば、思わず呻きがこぼれるほどの過ぎた快感を覚えた。
「気持ちがいい? そうだと嬉しいな。ねえ、全部差し出してよ、君が溜め込んだものがからっぽになるまで」
 ああ、本当にかつて憧れていた、気高く、清廉なセシルは、もういないのかもしれない。耳をくすぐる、蠱惑的な囁きに震えを覚えながら、そう思った。

 絨毯の上に寝かされた自分を今度は逆に見下ろすよう、セシルが跨り、その尻たぶの奥まったところに性器を宛がい、ゆっくりと呑み込んでいく。
 ろくすっぽほぐしていないというのに柔らかく、熱いその肉の輪はいとも簡単に怒張を受け入れていく。
 その割に腔内は狭く、女のそれを凌駕する、えげつない締め付けで吐精を促してくる。
 余裕がなく、目にする暇もなかったが、どうやらセシルのそれも緩やかに立ち上がっており、少しは感じているらしいことに安堵する。
 そうして、肉がつるりとした粘膜に馴染んだ頃、おもむろに彼が腰を上下に打ち付け始める。感覚に集中するように目を瞑り、声が溢れてしまわないよう、口を押えながら、快楽を求めるその姿は愛らしいが、やはり鬼気迫るようなものも同時に伝わってくる。
「あなたは本当に――悪い人だ」
「ふふ、どうして? 何も悪いことなんてないよ、ただお互い気持ちがいいだけでしょ? これじゃ足りない? もっと善くしてあげるよ」
「それが、悪いって言ってるんです……ッ!」
 与えられるばかりの快楽と、彼の底の知れなさにほとほと嫌気が差し、彼を下から突き上げると、あっ、とそれまでも大きく声を上げ、のけ反るのが見えた。
銀色の下生えに彩られた、柔らかそうだった性器もハリを持ち始め、その白い肢体もうっすらと血色がよくなってきた。
「ああ、すごくいいよ。もっと、好きなだけ罵ってくれよ、君がそれで善くなるなら、」
 抽挿を繰り返す度、きゅうきゅうと収縮する後孔に苛まれ、目がちかちかするような弾ける快感が襲ってくる。  
早く何もかもぶちまけてしまいたい。
 呼吸が荒くなり、言葉を交わすこともおっくうになってきた。こんな最高で最低のまぐわいは、もうおしまいだ。
 短く聞こえる、憧れていた彼の喜色が滲む喘ぎ。
 一番汚したくなかったものを今、汚してしまったのだ、自分は。体も、きっとその心も。
「こんな僕だって受け入れてよ、一緒に汚れて、汚れて、堕ちるだけ堕ちてしまおう? 寂しいよ、一人だけこんな風になるのは」
 その瞳に怪しい光を燈しながら、自分の心を覗いたようなことをセシルは口走る。一体どんなことが彼にこんなことをさせるのか、少しわかった気がした。
 それはきっと圧倒的な飢えと、孤独感。体を重ねることで誰かが同じ場所まで堕ちてくるのを「何か」が望んでいる。いや、その「何か」と彼はもうほとんど同じになってしまったのかもしれないが。
 もうセシルの表情が、ほとんど達しそうなのか、それとも寂しそうなのか、この目には判断できない。それでも、誰かの代わりでもいい、彼が正気を保ってくれるなら。
「こっちへ来て、――来いよ、『セシル』」
 きっと彼が本当に求める人間なら、こう言うのだろうという言葉を口にすれば、自分に重なるその人からひと雫、なにかが零れ落ちる。
 そして見上げた彼の瞳には、ある種のがむしゃらさも、これまでさんざ見せた好色さも、何も宿っていなかった。それはかつて憧れた、誇りのために傷つくなんて不器用なことをする、かつてのセシルと同じ瞳で。
 悲しそうに微笑んだ彼を見たその瞬間、不意に心臓が強く跳ねる。「こんなことに付き合わせて、すまない」と、彼が触れるだけの口づけをした瞬間、ひそかに焦がれていた自分の思い人の直腸に、だくだくと溢れて止まらない、爆ぜる精を情けなくもぶちまけた。
 そうして、熱い肉の中に濃い精子をとくとく注がれるのを感じてか、セシルもその体を弓のように反らせ、今 なお腔内にある性器の形をかたどるみたいに。一層締め付けをきつくしながら、海獣が潮でも吹くように、ほんのりと先端が染まったペニスから、勢いよく透明な液体を放出した。

 全てが終わると、それまで張りつめていた糸が切れてしまったかのように、清廉な雰囲気をしたその人は、絨毯の上にぱたりと倒れた。気を遣ってしまったのか、息は浅く、脈も弱い。横を向かせ、気道を確保する回復体位を取らせる。
意識が戻るのを待つ間、その体をふき清め、身に着けていた服を元通り着せようとする中で気が付いた。
背中に刻まれた凄惨な傷跡、そしてそのまあるく豊満な尻肉の付け根、尾てい骨のあたりに刻まれた、魔術の類なのか――妖しく光る、心臓(ハート)型の刻印に。
 一瞬、清らかな彼を取り戻すことができたと思ったのに。きっとこの印がある限り、彼は自由になることができないのだ、暗黒の鎧とその呪いから。何かの偶然で、それから解き放たれるまで、このようなことをきっと、何度も何度も繰り返すのだろう。
 瞬間、喉が焼けるような感覚と共に胃酸がこみ上げる。
「ねえ、きみ、大丈夫? どうして、ここにいるの?」
 自分のえづきが聞こえて目を覚ましたのか、何にも覚えていないように、セシルが不思議そうに尋ねる。  しかし、それに答えることはできなかった。やがて沈黙を一つの答えとし、その可能性に思い至ったのか、彼は本当につらそうな顔でとぎれとぎれに言葉を紡ぐ。
「そうか、さっきまで……ごめん、こんなのひどいよね。でも、ねえ、本当に大丈夫かい? こんな真っ青な顔して」
 大丈夫? そんなわけないだろう。
 平凡な自分には、彼を救うことはもちろん、その気を紛らわすことすらできないのだ。
とても手には負えない、この底なしの業と獣性は。
あの淫紋を見た瞬間からずっと感じている、気が遠くなるような眩暈と嘔吐感をこれ以上堪えることができず、別れを告げることすらせず、その場を後にした。
どんな道順を辿ったのかも覚えていない。
城を離れたことに気が付いた時には、どうしようもなく安堵した。そうしてその場にへたりこむと、体の震えが収まるまで、長いこと立ち上がることができなかった。

わき目も振らずに必死に「あれ」から逃げ出したというのに、数日後、どこかあの出来事が本当にあったのだと信じることができない自分は、愚かにももう一度、飛空艇団の詰め所を訪れた。今度はそう、赤い翼の一員として。
身分など関係なく選ばれた、新設部隊の隊員たちは誰も彼も活気に満ち溢れていた。きっと自分たちこそが、 この国の未来を背負っているのだと信じて疑わないのだ。 
赤い翼に任を受けて数日、詰め所に姿を現さなかった自分を、隊員たちは冗談めかして心配した。風邪でも引いたのか、それとも悪いものでも食べたのか?
 深く理由を詮索されないことにどうしようもなくほっとしながら、新たな仲間たちと言葉を交わしていると、きっとあの日見たのは悪い白昼夢だったのだ、という気までしてきた。
彼らと共に新造船に乗り、きっと世界中を旅しよう。そしてこの国を、そして陛下を支えるのだ。
 新たな希望に胸を熱くしていた時、自分の目は、詰め所の奥から現れた、あの気高さを体現したような、美しい男の姿にくぎ付けになる。
 「あんなこと」などなかったように、威厳を持って他の隊員と話している彼。そうだ、あれはきっと妄想だったのだ、自分の。そう思い込もうとしたのに。
 向けられる視線に気づいた彼は、今しがた話していた隊員が別の部屋へと移動したその時、確かに形のいい唇にその人差し指を押し当てたのだ。

 口の中に、あの苦く、不味い胃液の味が蘇った。