愛はそだつ

 今しがた清めてきたその身を同じ寝台の上横たえる恋人を眺めながら、フリオニールは自分の数奇な運命に思いを馳せた。もう二度と会えないと思っていたその人と再び、自らの世界で過ごすが叶うなんて。いや、本当に特異な運命を持つのは、彼の方かもしれないが。
 窓から差し込む月明かりで、その人の白銀の髪はきらきらと輝く。
「セシル、バフスクのほうはどうだった? 職人たちが、鉄巨人だったっけか、そんなのを作り始めたんだろ?」
「ああ、順調に進んでいるよ。タロース造り。トブール老の弟子の君たちとは、少し  専門分野が違うけど、大戦艦造りに従事されていた彼らは優秀だね」
 セシル・ハーヴィ。フリオニールの暮らす世界へと渡ってきた彼は、ただの「セシル」
と名乗り、今はシドの弟子たちの手伝いをして過ごしている。
まあ、今はそれよりも、とセシルがフリオニールの唇にそっと人差し指を押し当てる。
 その意図が分かったのか、フリオニールは少し頬を染めた後、隣に横たわるセシルの髪へとその浅黒い肌をした腕を伸ばし、そして額にキスをする。
 ひと月とちょっと。フリオニールが各地を回り、名匠トブールに師事する兄弟子たちが作った農工具や精製した鉄材なんかを届ける間、一方のセシルは、かつての世界にいた頃と同じように飛空艇を駆り、工業都市バフスクで機工士たちのサポートに当たっていた。その間二人とも、フィンの近郊にある住まいには一度も帰ることができなかった。
 そしてやっと今日、久しぶりに港街ポフトで合流し、「もう少し二人でゆっくりしてけばいいのに」と引き留めようとするレイラには「すまないな」と告げ、飛空艇で一路、フィンへと帰ってきたのだった。
 家に帰り、くたくたの体に鞭を入れながら部屋を片付けたり、空気の入れ替えをしたりした後、簡素な食事をとって。そして今、二人とも身を清めて、やっとベッドに入ったところだ。時は夜半に差し掛かる頃だろうか。
 セシルが抱擁を求めて腕を伸ばすので、フリオニールは抱きしめてやる。
 近くで感じる、どことなく甘やかなセシルの匂いが今はただ懐かしい。
「おかえり、セシル」
「君もよく帰ってきてくれたね、フリオニール」
 大切なその人にねぎらいの言葉をかけ、それからゆっくりと二人は口づけを重ねる。

 フリオニールが異世界から戻ってきたのと時を同じくして、セシルもそこに現れた。
 いや、現れたというよりも、二人ともフリオニールやマリア、ガイの住むその家の  寝室に、気が付いた時にはいて、どんな風にして戻ってきたのかなんてわからなかった。
 フリオニールの驚きはさておき、弟と妹の驚きようといったらなかった。この世界にいた時と同じ服を身に着けていた自分とは違い、セシルは一糸まとわぬ姿で、突然そこに現れたんだから。
 しかも、セシルはいくら声をかけても、深い眠りに落ちているのか、しばらく目を覚まさなかった。疲労ゆえなのか、まったく別の理由なのか。仕方がないので、適当な服を身につけさせた後、寝台に彼を横たえ、様子を見ることにした。
 異世界での事情を知るわけではないのに、マリアが冗談めかして、「王子さまのキスが必要なのよ、きっと」なんて言うから、フリオニールが本気にして、そのひんやりとしたセシルの唇に口づけをしたその時、本当にセシルは目を覚ましたのだった。

――ああ、よかった。セシル目が覚めたか。驚かないで欲しいんだが……お前はどうやら、俺の世界に来てしまったようだぞ。
 意外にもセシルは、元の世界に戻れなかったことを嘆くことも、また特段驚くこともなく、その事実を受け入れたようだった。
――そうみたい、だね。もしかしたら誰かさんが渡してくれた「のばら」のおかげかもね。
 最後の別れの時、なんとセシルに声をかけるべきかわからず、フリオニールは彼に、異世界で常にフリオニールの心を慰め、励ましていた、あの「のばら」を手渡したのだった。「甘んじて受け取るよ」と微笑んだセシルともう二度と会えないのが身を裂くように辛くて、顔を伏せてしまい、その顔をちゃんと見れなかったことが心残りだった。
 もうあの異世界に神はいないっていうのに、誰がこんな奇跡を叶えてくれたのか。 それを突き止めることは叶わないし、これからずっとセシルが消えずにそばにいる確証もないが、フリオニールはそれを類まれなる幸運として、ひとまず受け止めることにしたのだ。

 ただお互いに興奮を高めるためではなく、お互いがまた無事にここに居られることを確かめあい、祝福するように、フリオニールはセシルに触れる。
 セシルがこの世界に現れてしばらくが過ぎた頃、よい頃合いだろうとフリオニールはマリアとガイの家のそばの家を借りることにした。恋人と家族と一つ屋根の下暮らすのは、少し気まずさもあったし、何より――ちょうど手持無沙汰だろうとセシルをシドの弟子を紹介した途端、明日からでも働いてほしいと言われたのだ――仕事で遠出することが増えたセシルのために、心から安らげる場所が必要だと感じていたから。

 名を捨て、聖騎士や暗黒騎士として剣をふるうことがなくなったセシル。その背中にあった、いくら薬を塗りこめようと薄くなることのなかったあの痛々しくも凄惨な傷は、不思議なことに徐々に癒え始めている。
――元の世界を離れて長いから、もしかしたら鎧との契約が反故になったのかも。
 そんな風にセシルは言っていたっけ。理由はわからずともそれは喜ばしいことだ。
 そして、その背中にフリオニールは何度も口づけし、痕を残す。しばらくセシルは  休暇に入ると言っていたし、少しくらい身も心も彼を独占したってかまわないだろう。
それに、こうでもしないと、セシルをこの世界につなぎ留められない気がしていたから。
 そして、セシルも同じようにフリオニールの首筋に唇を寄せれば、かつては仲間の手前、浮かれるのもどうかと思ってなかなか付けられなかった、所有の証をそこに残していく。
「ねえ、フリオニール」
 なんだ、と声をかければ、セシルは小首を傾げ、こんなことを訪ねてきた。
「もしかして、僕が消えてしまうんじゃないかって、まだ思ってる?」
 彼の言葉は図星だった。それが恐ろしくて、つい必要以上にセシルを心配してしまう。
 バフスクに彼が立つ前も、長く家を空ける彼が心配で珍しく少し言い争いになった。シドの弟子たちを紹介したことを思わず後悔しそうになったが、フリオニールがもはや剣をふるわず、代わりに鍛冶や金工で身を立てるのと同じように、この世界に彼がいる以上、生きる意味や生業が必要なことを思い出し、旅先から手紙を出すこと、帰りはポフトでお互い落ちあうことを条件に、心配しながら送りだしたのだった。
「……ああ、今でもお前がここにいることが信じられなくてさ」
「僕も同じだよ。でも、少なくとも今は君の目の前にいるんだからさ、」
 触って確かめてみなよ、もっと。簡単だよ。
 そう、何でもないに呟くセシルをフリオニールは後ろ抱きにし、その太ももの柔らかな感じを、そして肌の熱さを確かめた。

 寝台の上、何度か形を変え、お互いの体を貪るように何度もまぐわい合う。
 横抱きにしたまま、後ろから抽送を繰り返したり、逆にセシルがフリオニールの上に跨り、たっぷり時間をかけて味わうように腰を振ったり。
二人とも何度か果てているのに、それでもなお、やめることができなかった。いくら熱い肉の中に吐精しても、媚肉で包み込む性器の熱さに息をつき、体を震えわせても、十分だと思えなかった。
 今度は、セシルを窓辺に立たせ、腰を突き出させると、フリオニールは立ったまま、その真白かった――今はまぐわいの中で何度がそこをはたいてほしいと言われ、気乗りしなかったはずだったのに、いつのまにかうっすらと桃色に染まった――質量のあるその尻たぶに手をやれば、何度も咥えこんだ後なのにまだ不満足そうにひくついている、その淫靡な穴に、再び硬さを取り戻した性器を宛がい、少しだけ力を加えて、腔内へと押し入れる。
 幾度かのまぐわいで十分に柔らかく、慣らされたセシルのそこは、何の抵抗もなく、フリオニールの怒張した性器を飲み込み、より奥へ奥へと呑み込もうとする。
「ねえ、フリオニール、聞いてよ、」
 普段こういった時にはあまり余計なことを話したがらないセシルが唐突に口を開く。
「――なんだ、セシル、」
 しっかりと相手の腰を掴み、再びゆっくりと腰と前へと動かし、息を荒くしながら、フリオニールは言葉を返す。
「もう、心配しなくていいんだ。全部、思い出したよ、」
 一体何を? その疑問について話したいのに、もう頭は、セシルの熱く、ぴったりと性器を隙間なく包み込むそこに、せりあがってくる何かをぶちまけたいことしか考えられなくて。できれば、セシルにも同じ気持ちになって欲しくて、わざと抽送を早くし、そして、そこに触れられると彼がいつもとろん、となってしまう場所を探る。
 その試みは上手くいったようで、過ぎた快楽にいやいやをするみたいに体をそらし、そこに触れられることを避けようとするので、避けられないようにしっかと腰を掴む。
「なあ、いっしょにいってほしいんだ、セシル」
 背後からでは顔が見えないが、仕方ないなあと言わんばかりに、ふっとセシルがほほ笑む気配がした。
許しを得た後、セシルの背中にそっと寄り添い、後ろから抱くような姿勢のまま、腰をより激しく上下させれば、セシルの脚ががくがくと震える。
 そうして、ある瞬間、突然後穴の肉がきゅうきゅうと締め付けをきつくし、少し足元が危うくなったのか、セシルが姿勢を崩したことで、彼が達したことに気づいた。
 そうして、今日何度目になるのかも忘れた、こみ上げる最後の快感の瞬間、フリオニールはセシルの立派な肉付きのいい尻に、熱く、白濁した汁を勢いよくぶちまけた。

 
 あの後、体を清めることもそこそこに、二人で倒れるように裸のまま、手をつないで眠りについてしまった。
 翌朝、もう少しも体を動かせそうもない倦怠感の中、目を覚ませば、昨晩と同じように腕の中にセシルがいた。フリオニールが目覚めた気配が伝わったのか、その人はまだ眠そうに何度か瞬きをすれば、小さくあくびなんかしたりする。
「……なあ、セシル。昨日の話――」
 フリオニールが言うが早く、セシルはその唇を口づけで塞ぐ。
「昨日は聞いてくれる気分じゃなかったみたいだけど、今はどう?」
 少しばかり嫌味を含んだセシルの声に、慌ててすまなかったよ、と謝れば、咳払い一つして、彼は話し始める。
「それが本当にあったことなのか、ずっと確信できなかったんだけど、君が背中に触ってくれた時、不意に思い出したんだ。僕が元の世界に帰ろうとした瞬間、どうしても君の悲しそうな顔が忘れられなくて――そう思ったら、君が渡してくれた薔薇を眺めたくなって。僕も、君と離れたくない、と思った瞬間、元の世界へ帰ろうと進んでいく僕から、その場に留まる僕が零れ落ちたんだ」
 多分だけど、とセシルは前置きをして、言葉をつなぐ。
「元の世界の、暗黒騎士でありパラディンでもあった「英雄」の僕は、無事に元の世界に帰れたんだと思う。じゃあ、僕は何なんだろう、と思うけど、あまり深く考えないようにしてるんだ。だって疑った瞬間に消えてしまうなんて、ありそうな話じゃない?」
 悲しそうに笑うセシルを見ていられなくて、フリオニールは、今しがた「零れ落ちた」と語った恋人をきつく、両の腕で抱き寄せる。

「もしも、セシルが信じられないなら、その分まで俺が信じるよ。だから、その――俺でよければ、一緒に暮らしてくれないか、これからもこの野ばら咲く世界で、ずっと」

 そうして、昨日本当は渡すつもりだったものを、枕元に置いていた赤い小箱から取り出し、セシルの白い手の、左手の薬指にそれをそっと嵌めててやる。
 その指輪は、月に輝くセシルの髪のような白金を地金として、シンプルな形の指輪だった。つるりとした指輪の表面には、蔦のような模様と神秘的な輝きを放つムーンストーンがあしらわれていた。
「まだ練習中だけど、自分で作ったんだ――気に入らなかったか?」
 腕の中のセシルが震えるのは、まだ世界を超えてしまった己が信じられず、心もとないからなのか、それとも別の理由であるのかをフリオニールが知るのには、それほど  時間はかからなかった。
夏の終わりの少し柔らかな朝の光の中、その瞳に涙を湛え、「誓うよ」と呟いたその人の、穏やかで満たされた顔は、これまでに見たどんなセシルの顔とも違っていた。
 
 きっとセシルにこの世界のすべてを見せよう。自分が育ったサラマンドの短い夏や、不思議渦巻く南の島の光景。今はまだ不毛の地だが、きっとこれから変わっていく、  パラメキアの広大な砂漠に、緑豊かなセミテの滝。そして、フリオニールたちの往く道を切り開いてくれた、あの人が眠るミシディアにも、いつか。
 一体何から始めようかと胸が逸るが、とりあえず今は、うんとセシルと眠って、それから遅めの朝食でも取って、ゆっくりと話そう。なんて言ったって、これからはきっと余るほどに、時間はあるのだろうから。