昏き底を(きみと)駆ける

 古きゲルモラの民は、黒衣森に住うことを精霊との五百年にわたる対話の末に赦されるまで、昏き穴蔵に住み続けることを余儀なくされた。生きる糧となる動物たちや深き森を形づくる草木、そして、時として襲いくる災害や命の生まれるみなもとである清き水に、ゲルモラの人々は大いなる意思を感じ、畏怖し、長き時間を地下都市にて過ごしていたという。
 光の差すことのない場所で生まれ、命尽きる時にはまた光のない、大地の奥底へと帰っていった彼らが築き上げた広大な遺跡に今、くろがねの鎧を見に纏った光の戦士はイソム・ハーの大穴より降り立つ。
 当初は、地下特有のひんやりとした空気や少しの黴臭さはあれど、いつか訪れたタムタラの墓所のような不気味さは薄く、幾分かましに思えた。しかし、「死者の宮殿」と呼ばれる迷宮の深い階層へと降りていくたび、その印象が間違いであったことを認めざるを得なくなった。
 角尊エ・ウナ・コトロの話の通り、下へと向かうほどに、邪な魔力によって遺跡の風景はおどろおどろしいものへと歪められ、【異界】ヴォイドとも繋げられてしまったのか、低級なものから位の高いものまで様々な妖異が迷宮の中を跋扈していた。
 その上、迷宮の中には本来の力を発揮することができない、特殊な結界が張り巡らされており、英雄と呼ばれる光の戦士その人もまた例外なく、『何か』の仕組んだ通りに大剣で敵を屠り、本来の力を少しずつ取り戻しながら先へ進むしなかった。
 入り組んだ遺跡の中は仄暗く、時に進んで来た道も、これから進むべき道も見失いそうになる。その上、不意に邪な魔力が込められた呪印があちらこちらに散りばめられており、踏み抜いた途端に爆ぜる炎や口がきけなくなる呪いがこの身を襲うのだ。ひどい時には召喚術によって四方を妖異に取り囲まれ、ひやりとした汗を感じることもしばしばだった。
 そして今、光の戦士は宝箱に巣食う妖異から呪詛を受け、その身を蝕まれていた。まがまがしい呪いは毒にも似て、身中でくすぶり一歩進むごとに悪態を付きたくなるほどの痛みを与える。痛みで思わず意識が遠のぎそうになるのを、奥歯を噛みしめ、手にした大剣で体を支えることでなんとか堪える。
 今しがた降り立ったばかりの階層には、妖異や死霊たちを凶暴化させる赤い霧がたちこめ、さらに悪いことに幻惑魔法ブラインが目を霞ませる。
 万事休す、という言葉が脳裏をよぎる。光の戦士はともすれば好戦的にも見える、皮肉な笑みを浮かべた。
 呪いの力が無力化され、傷が癒えるまで敵と出会うわけにはいかない。そこらを歩き回る「やつら」に気づかれにくいであろう石棺の陰に身を隠し、しばし息を整えることにした。
 とはいえ、ただ時間が過ぎるのを待つにはあまりに呪詛の勢いは強い。今この時にもとめどなく痛みに気を遣らないため、それが過ぎゆくのを待つ間、これまでの階層での出来事を光の戦士は思い出そうとする。
 冷たい汗が背中を額をつう、と流れていく。

 禍々しい力に満ちた、イソム・ハーの穴蔵の奥に広がる遺跡がなぜ死者の宮殿と呼ばれるのか。光の戦士がその由縁を知ったのは、まだ浅い回層でのことだった。
 ごくまれに迷宮の中で、人間と出会うことがあった。最初はただ迷い込んだ者たちかと思っていたが、出会う人々は皆一様に糸で繰られた操り人形のようにぎこちない動きで、そしてうわごとを口走りながら光の戦士の行手を阻んだ。
 彼らはおそらく、不死者だ。
 その考えを裏付けるかのように、迷宮で出会う人々の中には、かつて光の戦士が出会い、そして戦いの末、斃れてしまった暁の血盟の仲間の顔があった。
 ペルスバン、サッツフロー、そしてウナ・タユーン。帝国将校リウィア・サス・ユニウスによる襲撃で砂の家で命を落とした彼らの亡骸は、アダマランダマ教会に埋葬されたはずだ。そして、不思議なことに襲い来る彼らの姿は、生気のない瞳のほかは、生前となんら変わった点はなかった。
 その墓を暴き、死してなお彼らの尊厳を奪った者がいるとしたら許すことはできない、と東ザナラーンへ向かい、彼らの墓所を確かめもしたが、傍目にも荒らされた様子はないし、また教会のシスターたちも怪しげな人影などは見かけていないという。
 だとすれば、本来エーテル界へと還るべき彼らに肉体を与え、この迷宮に留めている「何か」がいるはず。また、その者こそがこの遺跡を迷宮へと変容せしめたに違いない。
 仲間たちや、かつて対峙した人間たち。その魂を弄ぶ元凶を討ち取り、ばかげたことを早く終わらせなければ。
 その思いは、かつてタムタラの墓所の深き場所にて相見えた少女・エッダとの再会でますます強くなった。
 深い谷底へと落ちていったはずのエッダ。弔い装束がごとき黒い衣装で現れた彼女は、妖異で溢れる迷宮には不似合いな明るい声でころころと笑いながら、他の不死者同様に光の戦士を「排除」しようと戦いを仕掛けてきた。
 エッダは強力な呪文を次々と唱え、戦士を内へ外へと追いやり、翻弄した。しかも、その口元には不気味な笑みを浮かべたまま。
 光の戦士が傷を受けるたび、いつかの戦いと同じように床には血文字が浮かび上がる。描かれた名前はやはりアヴィールで。死してなお、彼女が愛してやまない青年の名前だ。
 恋人への純粋かつ歪んだ愛がエッダに力を与えるのか、襲い来る魔法の勢いは時間と共にますます苛烈さを帯びていく。
 もう、あと一撃食らえば、立ってはいられないかもしれない。長引く戦いのさなか、ついにそう感じる瞬間が訪れた。口の中には鉄の味を感じるし、視界も段々に霞んできた。
 せめてあと数回、攻撃を入れることができれば勝機が見えるだろうか。
 生き延びること、そして強大な力を持った相手を打ち破ること。その両方を成すために鈍くなる思考をなんとか働かせようとしていたが、一瞬の不意を突き、エッダが呪力で光の戦士の足を呪縛バインドする。さらに悪い事に、少女の口元は禍々しき呪文をもう詠唱し始めていた。
 これから何が起きるのかはっきりと思い知らされた今、もう絶望しか自分には残されていないのではないか。光の戦士がそう覚悟した瞬間、不意にある声が耳に届く。優しくもあり、毅然とした厳しさを含んだ声。それを聞くのは一体いつぶりだろうか。

――駄目だ。そんなことはさせないし、絶対に起こらない。大体君は、いつだって甘すぎる。目の前の敵まで救おうと思って戦うなんて。

 声が聞こえるのと同時に、自分の体が自分のものではない感触に襲われた。しかし、意識が朦朧としていくのとは異なり、不思議なことにどこか温かく、安心な気持ちに包まれていくのがわかった。
 そう感じる間にも、自分の「体」は、残り少ないエーテル力を振り絞り、盾なき暗黒騎士の身にその代わりとなる防御障壁を授け、間髪入れず、角尊より「もしもの時のために」と賜っていた『生者の秘薬』を用いていく。
 しかし着弾まではもう間がない。
 その焦りが「彼」に伝わったのか、憂いを払うように「大丈夫、心配しないで」と自分の口が独りでに動いた。
 あわや攻撃が直撃するという所で、まるで最初から分かっていたように、足を封じていた呪縛が解けた。
 にやり、と口元が動く感覚がした。
 光の戦士の肉体は半ば転げるようにして、真っ直ぐと自分に伸びてきていた暗黒の波動を交わした。
 少しばかり左の頬を攻撃が掠めたが、信じられないことにまだ自分は生きている。その事実に体の底から震えが来るようだった。 

――さあ、次は君の番だ。後生大事に取っておいた魔土器でも割って、さっさと終わらせてしまうといい。愛しき君に、幸運を。

 そうして優しく、懐かしい囁きが聞こえなくなるのと同時に、遠ざかっていた体の感覚が瞬時に戻った。
 今も聞いているのかいないのかはっきりとはしないが、光の戦士はその言葉の主に向かって一人頷き、迷宮の中で手に入れた、謎めいたかわらけを叩き割った。
 魔具が壊れた瞬間、それがきっかけになって、込められていた術式が展開される。
 用いたのは、自身の姿を階位第四級の妖異・サキュバスへと変貌させてしまう呪いの土器だ。
 血の流れがどくどくと脈打つのが感じられるほどに激しくなり、自身の皮膚が、骨が痛みを伴いながら変容していくのを感じる。一時的なものだとは分かっているが、体が変わっていく感覚も、急激に自分の中で加虐心が湧き上がってくることも、何度体験しても慣れるものではない。
 爪や髪が伸び、焼けるような痛みと共に光の戦士は翼を得た。そして体が完全に妖異化すると同時に、自らの唇が、本来耳にすることは許されない冒涜的な呪文を紡ぎはじめる。
 それは、ヴォイドと繋がる裂け目から七獄で燃え盛る炎を呼び込む呪文。
 やがてエッダの足元に空間を割いて竜巻のような火の渦が出現し、小火程度だった炎は徐々に辺りの空気を取り込んで火柱へと成長する。
 その悪しき炎は、最初はほんの火傷程度の痛みしか与えることができないが、その炎で受けた傷は、あっという間に死に至るほどのものへと深まる。それは相手が不死者であっても、かりそめのその肉体とエーテルのくびきを外すにはおそらく十分な威力だった。
 いたずらに痛みを与えることは本意ではなかった。敵の動きが鈍くなったのを目にすれば、光の戦士は変身を解き、癒しの薬を目の前のその人へと用いた。
 どうして。半ば驚きに満ちた瞳で少女はこちらを見た後、妖しげにも、純粋にも見える微笑みを浮かべ、その肉体をエーテルの粒に代えて霧散させた。

 他の不死者と戦った時に気づいたが、彼らの肉体があくまで一時的に「本物」の肉体と同等の強度を持つが、その耐久度がある一定値を下回った場合には消失するようになっているらしく、それは光の戦士にとっても救いだった。
 邪な意思による復活であっても、一度喪った彼らを自らの手で死に至らしめるのは、きっと耐えがたいことだ。
 加えてエッダを打ち破った後、彼女のエーテル体が何者かの呪縛から解き放たれたように見えたことも少なからず、光に戦士に安堵を与えた。
 しかし、ある出来事の後から沈黙を続けている我が影――フレイ・ミストの肉体に宿り、光の戦士を暗黒剣の道へと導き、また世界を選ぶのか、自分自身を選ぶのかを迫ってきた、英雄の「英雄にはなれない部分」の声が、なぜ今ふたたびこの耳に届いたのだろう。
 考えを深めようにも、体の中で育っていく呪詛の痛みが思考を途絶えさせる。呪いの力は全身に周り、拷問にも等しい痛みをこの身に与え続ける。
 その時、堪えていたつもりだったが、思わず苦悶の声が漏れる。
 まずいと思った時にはもう遅い。その異常な聴力で小石を蹴っただけでもこちらの存在を感知するグレムリンどもが直にやって来るはずだ。人の言葉を真似て、罵詈雑言でまくし立ててくる彼らだけなら取るに足らない相手だが、おそらく他の妖異たちも集まってきてしまう。
 少しでも有利に戦いを進められる、広い場所へーー鉛のように重い脚を半ば無理やり動かし、この階層へ最初に降りてきた時に入った部屋を目指していく。
 厭らしい、妖異の金切り声がすぐそこまで迫っている。逃げなければ。赤い霧に包まれたフロアを急ぎ進んでいく。罠の仕掛けられていない、壁際を歩いていたつもりだが、敵のいない開けた場所が見え、油断してしまったのかもしれない。
 踏み出した足の先には、赤く光る呪印。その形は、何度も光の戦士を苦しめてきた『誘引』の罠だった。グレムリンや一つ目の妖異、死者たちの番人の如き出で立ちのモンスター。その敵たちは、瞬時に光の戦士を取り囲み、皆一斉に攻撃を開始する。
 もはやこれまでか。せめてもの抵抗として、大剣を構えたその時、光の戦士の腕より、赤き闘気が立ち上りはじめる。そうして、一瞬視界が揺らめいた後、確かに目の前には懐かしい「その」人が立っていた。
「どうして、という顔してますね。何故、再び君の前に立てたのか、僕が聞きたいくらいだ」
 宵闇色の鎧と、顔を隠す見慣れたバルビュート。懐かしい背格好と、夜のように優しい声。
 汚い罵声を浴びせてくる小さな妖異を、品行方正な普段の振る舞いには似つかわしくなく、足で蹴散らし、また邪眼を向ける妖異や死者の眠りを妨げる者を排除しようとする敵を暗黒の波動を放ち退け、間髪入れず大剣で切りつける。
 ちらりとその青年がこちらを振り向く。
 光の戦士を見据える、月のように黄色い瞳には赤い炎の如き光が宿っている。間違いない、彼は。
「感動の再会とやらをしている暇はないですよ。僕は「君」に生きてもらわないと、困るんだ。いい加減、その厭らしい呪詛も解ける頃合いでしょう? この階層を抜けて、深追いをせず、もう地上へ戻るんだ」
 目の前で戦う彼の姿はフレイ・ミストそのものだ。それとも、いつぞやのように彼の中には我が影が宿っているのか。
 光の戦士の頭の中を読んだように、そっと師たる暗黒騎士は己がバルビュートの口元に人差し指を立てる。
「君みたいな生傷の絶えない人達を僕はずっと見てきた。彼らを助けることができればと思い、幻術も覚えた。でも今、僕の兄弟子たるシドゥルグの力になれるのは君だけだ。だから「僕」は「彼」と、」
『手を組んでキミを生かそうとしてるってわけだ。幸い、死者の宮殿ここの環境は、強き思いや記憶に形を与えてくれるように出来ている。全くおあつらえ向きだよねッ!』
 そんなことはあるはずがないのに。フレイの声が一瞬、重なって聴こえた後、その身からは真っ黒な影のようなものが飛び出す。まるでフレイとその影が光の戦士を守るように、目の前で戦っている。
「さあ、早く転移の石塔へ。いいですか? 僕たちはいつも」
『キミと共にある。心配しなくても僕たちの帰る場所は君の中にしかないんだ。後から必ず追いかけるよ!』
 二人のフレイが、ついに誘引の呪印で引き寄せられた妖異を全て蹴散らし、後からやってきたグレムリン たちへ斬りかかっていく。
 これ以上、この場に留まっていては彼らに怒られそうだ。二人が目だけで示した方向には、階層間を行き来する転移の石塔がある。転移機構が動き出すには十分なエーテルが既に蓄えられている。淡く光る魔法陣の中へ入り、目を瞑って光の戦士は念じる。日の光が届く、黒衣の森へと我が身を運ぶようにと。

 視界が光に包まれ、ふっと身体が軽くなる。
 次の瞬間、光の戦士の目の前を仄暗い闇が覆う。虫の声が聞こえ、遅れて微かな月の光が目に届く。そこが夜の森であることはもはや疑いようがなかった。
 日が高いうちに迷宮へと入ったが、思った以上に時間が過ぎていたようだ。月や星の位置から見て、もう時期真夜中になる頃合いだろう。
 なんとか地下迷宮から無事生還できたのだ、という事実に、身体の力が不意に抜ける。
 二人のフレイのおかげだ。
 今は共にあるのか分からない親愛なる友、そして己が半身に、光の戦士は誰にも聞こえないほどの大きさの声で、何やら一言呟き、イソム・ハーの穴蔵を離れた。

 クォーリーミルにて回収した「埋もれた財宝」の鑑定を待つ間、これまでの調査結果を熱心に纏める角尊に、光の戦士は心に浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「死者の宮殿がエーテルの還る星海に繋がっているのか、か。精霊のことならいざ知らず、それは専門外だが……そなたの知る者によく似たものが告げたという言葉は興味深い。『迷宮が強き思いや記憶に形を与える』か……」
 エ・ウナ・コトロ曰く、弔ったはずの不死者の出現もそのあたりの事情が関わっているのではないか、ということだったが、いかんせん調査が進展してみないと確証が持てないということだった。
 フレイ・ミスト。実体化された彼は、どうして他の不死者のように光の戦士を襲わなかったのだろう。もう一人のフレイ、世界に仇を為してでも光の戦士を守ろうとした「影身」が歯止めになったのだろうか。
 森へ入るべきか否かの審判が精霊により下される聖地・クォーリーミルに設けられた簡宿屋の簡素な寝台の上、答えの出ない問いに思いを馳せながら、光の戦士は迷宮の如く、深い深い眠りへ落ちていく。
 まどろみの中、その髪を撫で、背中をふんわりと抱くような感触がしたのはなぜだろう。狭く開けられた窓より、夜風が吹いたのかもしれない。
 ただいま、おやすみ。
 何もかもを抱きすくめる、深く優しく宵闇のような声が聞こえた気がしたが、今はとてもじゃないがもうこれ以上目を開けていられなかった。