もう森へなんか行かない

 次の外出日、いつものようにローザが寄宿舎までやって来てくれた。
 そのへんを散歩しましょうよ、と彼女が言うので少し街歩きをすることになった。カインにも声を掛けたけれど、彼は「野暮用がある」と言うが早く、どこかへと出かけて行ってしまった。
 ああ、昔よく3人で町のキャンディーショップを一つ残らずごと買い占めてしまえたら!なんて言ってたこと、あったね、なんて懐かしそうにローザは笑う。少し歩き疲れたので街の広場の噴水の前の石段に座った時、彼女まで頬杖を付いてこんな事を言い出すんだからだからぼくはもう嫌になってしまう。

「ねえ、セシル、あなたって恋、したことある?」
「……秘密」
「なければないって言ってもいいのよ、別に恥ずかしい事じゃないんだから。もし私が知ってる子だったら応援してあげる」
 こんな風にいつも姉さん風をふかせる。そんなローザは嫌いではなかったけど、今日は話題が悪かった。隣に座る彼女を見て気づく。そういえばやっぱり最近、綺麗になった。そんな風に考えていたら彼女とふと目が合ってしまった。
 それからローザはおかしくってたまらないって風に笑いながら、こう続けるのだった。

「でも大人っぽくなったかとおもったけど、やっぱりセシルはセシルね、なんかどきどきして損しちゃった。
 でも……ねえ、セシル、もしも私があなたを好きだといったら、どう思う?」

彼女にしては珍しく遠慮がちな響きをもった言葉が、やわらかそうでうっすらと色づいた唇からこぼれる。その声が震えているのにも、実は気が付いていた。しばらく、何をどう返したものか、ぼくには検討もつかなかった。おたがい口を開かないその時間は、いつになく重苦しかった。ややしばらくあって、ぼくは彼女に言葉を返す。

「……ローザ、ごめん。
 ぼく、わからないんだ、みんなが言うような恋とか。
 今のぼくには、やらなくちゃいけないことが沢山あるし、……」
「そう、でも、きっといつかあなたもするわ。
 もしその日が来たら、教えてね。いつでも話を聞くわ。
 ね、セシル」
 確かに恋と呼べるかもしれないものが自分にもある事を先日、ぼくは身を持って知った。だけどわざと分からないふりをして、言葉を濁す。
 だって今さっきまでぼくを見ていたローザの目は、まるでカインがローザを見た時のようにひそやかに輝いていて、それはとても素敵に見えたけれど、それをどう受け止めたり、傷つけないように扱ったりすればいいのかなんて分からなくて。
 ぼくはまた黙りたくなってしまう。

 それから数年後の今、ぼくは城の塔の自室で目を覚ます。早朝の窓の外をしばらくを眺めるが、霧が濃くて何も見えない。昨日は浅い眠りを繰り返し、子供の頃や兵学校時代の夢を見た。あれからいろんな事があった。カインの恋の相手が誰かもぼくは知ったし、ローザが誰を気にしていたのかも聞いた。ぼくがあの頃、誰にも告げるつもりのなかった恋の相手を知っているのは、その本人だけだ。枕元に置いた市内のバザールで買ったりんごからは甘い匂いがしている。
 大人になってしまったぼくたちが無邪気にピクニックバスケットを持って森にあそぶなんて事は、多分、もうない。