もう森へなんか行かない

 気が付けばカインが買ってきた赤ワインは底を尽き、ぼくたちも何でこんな酒盛りを始めたかなんて忘れ始めていた。椅子もベッドもあるのに床に座り、とりとめもない話――毎年ファレル家になるりんごがどうなるか。アップルパイ、コンフォート、リンゴ酒、ローザの家で食べきれない分はよくカインやぼくがもらって家やお城の厨房に持って帰った――を続けていた。のに。
 突然、がたん、と音がして、話が途切れた。さっきから眠そうな目をしていたカインがついにダウンしたのだ。誇り高くて、背も高くってハンサムで、少しクールだけど、でも情に厚くて……そんなカインも床に大の字を描いて寝息を立てている今は、ただの酔っ払いだ。
  結局ワインをほとんど一人で一本空けてしまったカイン。明日は起きられるんだろうか。声をかけて起こして、ちゃんと寝かせたほうがいい。ぼくの中の良心はそう言っている。

「ねえ、カイン、起きて、起きてよ……」

 肩を揺すり、頬を軽く張っても、彼はふにゃふにゃとなにかを言うだけで、全く効果は無かった。
 あまりにも無防備なその人の顔を覆う、大分伸びた癖の無い金髪を掻き揚げると、いつも夢に見るイメージ――びっくりするほどきれいで、でも少年のそれというよりは大人の男性みたいな顔貌で、少しアンニュイな。そして夢の中で彼はとても都合がいいことにぼくに優しい――そのままで、ぼくは今まで3人で時間をかけて作り上げてきたと思っていた「幼馴染」のバリケードを超えてみたい誘惑に勝てなかった。

「……ねえ、カイン、恋ってこういうことなのかな」

 当然返事なんて返さないその人の頬に手を伸ばして触れるとやはり暖かかった。
 顔を近づけると、アルコールの匂いがする。
 軽く顔を傾けて、すっかり大人の顔になってしまった美しい友人の唇に自分の唇を寄せた。目を覚ましたとしてもどうでもいい。彼が酔っ払って、キスをせがんだ、なんて嘘を付けばいい。どうせ何も覚えていないんだから。
 そっとふれた彼の唇は薄く、感触はごくやわらかかった。
 この身体の内に芽生えた衝動が、たった一度の口付けくらいで収まるものであればどんなによかったんだろう。ぼくはもう、どうしたらいいのか分からなくなってしまう。まだ胸が高鳴っている。ぼくはカインの頬に自分の頬を寄せたまま、何も考えたくなくて、ぼうっとしていた。
 その時、背中に腕が回された。
「……あれ、カイン、起きてるの?」
「ああ、さっき起きた」
「お前、何したか覚えてる?」
「ああ、酔っ払って、何か話してたよな……お前が俺に何したかは覚えてる」
「そうか……」
 背中にひやっとしたものが走る。やはりあんなことするべきじゃなかった。うかつだった。でもなぜかいまだにぼくはカインの腕の中にいる。俯いたまま、彼の顔を見ることが出来ずにいる。そのまま小さく、つぶやくみたいにぼくは聞いた。答えを聞くのはとても怖いけれど。

「……ねえ、嫌だった?」
「驚いたけどな。でも、良くあることだろ、こんなの。酒の勢いなんて。大方誰かと間違えたんだ」

 しかし言葉を続けながらもなぜか腕を振り解こうとしない親友は不可解だ。
「……ぼくは……なあ、離してくれ」

「離していいのか? おまえ、好きなやつの代わりのつもりでしたんじゃないのか?
 ……付き合ってやるよ」
 その言葉が信じられなくて、ぼくは目を見張り、目の前の彼を見た。
 さらに続いた言葉にはもう絶句するしかなかった。
「その……俺にも好きな女がいるんだ。お互い悪いことなんてないだろ? だから……」
「カイン、まだ酔っ払ってるだろ。本気なのか? ぼくたちは……」
 いまだに彼の腕の中に納まりながら、むちゃくちゃに早鐘を打つ胸で考える。その言葉にはどう返すべきなんだろう。幼馴染としてなら? ノーだ。ありえない。じゃあ、ぼくの、例えば、初めての恋の相手からの提案だとしたら? ぼくと彼のベットの間に横たわる空間を見つめる時は、彼から求められる日ががくるなんて夢にも思ってなかった。それが仮に、報われない恋のためのなぐさめの相手としてだって。
 答えに窮していたら、言葉が帰ってくる前に、意趣返しなのか、大きな友人の手がぼくの頬に当てられた後、キスが唇に降ってきた。唇を割って、舌を入れられるという慣れない感覚に耐えるため、ぼくはカインの背中に腕を回す。
「見下してくれて構わないが、俺は……おまえの容貌(かたち)はけっこう好きだし、こんな事にも嫌悪感は感じない」
 その言葉を聞いたら、泣きたい気持ちが突然湧き上がってきて、目元が熱くなる。
「きみが……きみがすきなのは」
 その先を言うことは出来なかった。ふたたび彼の唇で口を塞がれてしまったから。

「それはお前には関係ないし、お前が誰を好いていようと別にいいさ。
 だけど、少なからずお前を好ましく思ってるよ、おれは、
……何言ってるんだろうな、多分酔っ払ってるんだ、忘れろ。おやすみ」
 ぼくの腕を振りほどくと、カインは言うが早く、自分のベットの中に入っていってしまった。
 あっけに取られたぼくは、もう、ほんとうに、わけがわからなくなってしまって、同じようにやっぱりシーツに包まって、少しだけ泣いた。