月に吠える

 暖を取るためにおこした焚き火の側、片膝を立てて座っていたあの青年の顔貌は確かに何かに良く似ている。先ほど最初の夜番を申し出た彼を置いて天幕へと引き上げてきた今、次の番が回って来るまで充分に休まなくてはならないのに。どうでもいいような事に気を取られ、不思議とやってしまわなければいけない装備の手入れも捗らなかった。
 ようやく作業を終えた事だし、さっさと床に入ってしまわなければ。短い睡眠時間で事足りる体ではあるけれど、一睡も出来ないのはさすがに好ましくない。
 そんな時だった。もうとっくに隣で休んでいるものと思い込んでいた仲間が突然被っていた毛布から顔を出し、いたずらっぽく声を掛けてきたのは。
「なあ、なあ、」
 クラウド、と自分を呼んだ、近しい文化圏から召還されたらしい、年若い少年の明るさは好ましい。特に、こんな風にはぐれた仲間の帰りを皆で待つ晩には。

「明かりが眩しかったか、すまない」
「ん……ダイジョーブ、そうじゃなくって……見てるっスよ、」
 そこ、とティーダは、ランプの光で薄く照らされた天幕を指差すと、毛布を肩に掛けたまま、己が両手を光源に近づける。
そうして帆布に大きく映し出された影を見、ようやく、今も外で夜番をするフリオニールの姿が何を思わせるか、という問いの答えに至る。
 大きな口に尖った耳。
「……犬か?」
 大きく頭を横に振り、笑ったティーダは、違うっスよ、なんて言いながらも、二回ほど軽く吼えてみせる。
「ううん、フリオのやつ。
 イヌじゃなくて、オオカミだって」
 そういえば前に影遊びを暇つぶしに習ったといっていたか。毎夜、雑談もそこそこに眠る生活に少し退屈そうだったというティーダを見かね、フリオニールが彼の世界の伝承と共にいくつかの手遊びを教えてくれたと。本の類のものや、誰の世界のものなのか、カードゲームのような単純な遊び道具は奇跡的に入手する事は出来たけれど、今のところ、その他の娯楽を楽しむための物は未だ確認出来ないままだ。
「クラウド、言ってただろ、さっき。何に似てると思う?って」
「そうだったか?」
 知らぬ間に口にまで出していたらしく、我ながら少し呆れてしまう。しかし確かに彼は、屋敷を守る優秀な番犬というよりは野犬、むしろ、彼が見せる無駄のない戦いぶりからすれば狩人に連れられた猟犬あたりかもしれない。
「うん、言ってた。
 だけどさ、やっぱあいつ、心配がシュミ、みたいな所あるよな。そわそわして、落ち着かなくて……セシルならきっと大丈夫に決まってるだろ?」
 夕方、対立する陣営が放った刺客に囲まれた折、まるで誘い込むように立ち回っていた一匹の敵を深追いして、先に行っていて、と言い残してセシルは消えた。それからいくら道を進みながら待てど、未だに帰らない。
 思えばそんな仲間を、半ば苛立ちすら感じさせながら番を張り、待つフリオニールこそ気がかりだったのかもしれない。友への篤い情を持つ彼を忠犬と呼ぶのはいささか良心が咎めるけれど。
「……ああ。あいつに珍しく、道を間違えたのかもしれない、今はそう思う他ないだろう?」
 行動を共にし始めた当初から妙に敵のあしらい方に慣れているとは思っていたが、聞けばやはりセシルは軍属だった。仕えていた国や率いていた隊、そして同じ世界から呼ばれた敵方の魔導士との確執については、ただ一言「分からない」と言っていたが、あれが倒すべき相手という認識はあるとも話していた。抜けて見えても、うかつな所はない仲間だ。本当に来た道を誤って引き返したのでなければ、そろそろ戻ってくる頃だろうという予感は何となくしている。
「大丈夫だ、帰ってくるさ」
「……うん、オレもそう、おもう」
 少しばかりしんみりした響きで相槌を打ったティーダは、珍しく神妙な面持ちで腕を組み、何か考えているのか、そのまま黙ってしまった。
「どうした?」
 ん、いや、ちょっと……、と、いかにも頭を使ってる雰囲気のポーズのまま、返事をするものだから気に掛かったけれど、続いた言葉にそれが杞憂だった事を知って、少し笑ってしまう。ティーダも口元を押さえて、破顔した。
「アレってさ、惚れた弱みってヤツかな、やっぱ。」

 そうだ。誰の目に見ても、やけに熱心に、たまに羞恥を覗かせ、彼はセシルを見ていた。僅かに覚えがある気もする。あの高揚やその年若さゆえの内気さには。何が健康的で、何が不毛な思いではないかなど当人が感じる事で、自分の関わるべきではない。けれど、物も言わず、懸想する相手をあんまり熱心に見つめるフリオニールがまるで死んだ光で輝く月のような不穏なものに魅いられたヒトのようにこの目に映る時、それが思い違いであって欲しいと願わずには居られないのだ。
「ん……そうだろうな。所でティーダ、あいつに勝算はあるのか?」
 聞けば、それがモンダイなんだよなあ、とここぞとばかりに愉快そうに呟く少年。それからとっておきの秘密を話すみたいに声を落とし、でもさ、と話を続ける。
「教えてもらったんだって、故郷の事」
「故郷?」
「うん、帰る場所が二つあるんだって。……多分一つは、」
 そう言うと、ティーダは斜め上、天幕を支える骨組みが交差するあたりを指差した。
「星?」
「そう。どんな場所だとか、誰が待ってるとかは分からないけれど、でも、「行かなきゃいけない気がする」って月を指差したんだ、ってフリオ、不思議そうに言ってた。
 ……所でさ、聞いたことなかったけど、クラウドってどんな女の子がタイプだったり?」
 余計な事にまで話題が及んでしまった。適当にはぐらかそうとしたけれど、それでもまだ食いついてくる仲間に苦笑しつつ、ランプの明かりを消す。
「ちょ、興味ない、ってどういうこと、……わ、!」
「もう遅い、ゆっくり休め」
 突然暗くなった視界に戸惑うティーダの声を聞きながら、おやすみ、と告げた。

 しかし、月に惑っているように見えたのもあながち間違いではなかったわけか。
 もうじきセシルは帰るだろう。月明かりを受け、発光するように淡く輝く鎧を纏い、やわらかな髪を夜風に靡かせ。もしくは、禍々しいあの悪鬼の鎧を身に着けたまま現れ、兜を外して、すまなさそうな顔をするのだろうか。そして、フリオニールはその姿を見、何を言うのだろう。
 次の夜番は自分だ、今度こそ、休もう。