はしってっちゃったみたいだ

 吹き付ける風を感じ、潮騒を聞きながら、彼は仲間と海岸線を歩いていた。
 じきに夕暮れである。この世界では日中でも日はあまり高く上がりきらず、空には常に重たく暗い雲が立ちこめている。ひずみ――そう呼ばれる、この世界に呼ばれた誰かの記憶にある場所を模した空間であり、中には太陽がじりじりと輝き抜けるような青空が広がる場所もある――の中でもなければ強い日の光に当たる事は叶わない。陽光の輝く世界から、青き星を遠く望む、音のない常夜の渓谷へ――コスモスが探せと言ったクリスタルを求め、ひずみの探索を行っていると、時間感覚が狂い、妙な疲労感に襲われる事もあった。それでも毎日、日沈の頃には血潮と同じ色に染まった空を眺め、また一日と時間が過ぎていくのを確かめることが出来た。
 自分の名前や故郷、ごく近しい友人や家族、そして戦っていた敵の名前。不毛の土地に呼ばれた戦士たちには、完璧ではないが、それぞれ自分の拠り所となる記憶があった。そして今、全身を禍々しい真っ黒な具足で固め、鬼か悪魔のたぐいのものを模したマスクで顔を覆った青年、セシルは自らにとってのそれを思い出し、目と口許の覆いを外すと、目を細めた。
 いつかこんな風に焼けるような赤い陽の色とぐんじょう色が交じり合う水平線を眺めていた。もっと高い場所から、同じように向かい風を感じて。緋色に輝く、美しい飛空挺に乗り、自分はどこを目指していたのか。それを知る親友も幼馴染も、この世界にはいない。
 しかしこの世界にも日々を共にする仲間はいた。
 どんなにパーティー全体が疲弊し、そこに重たい空気が流れていても、眩しい笑顔を絶やさず、希望をくれる少年。敵からの挑発を受けていきり立つ仲間に、今動いても相手の策に落ちるだけだ、と言葉少なに皆を諌めたこともある、常に冷静さを失わない、兵士だったという男。そして、少年の頃を過ぎたばかりの、少し真っ直ぐすぎるきらいのある、頑健な青年。しかしひとたび戦闘が始まれば、時折思いもかけぬ繊細さをのぞかせるそのフリオニールと呼ばれる彼が、誰よりも鋭い光を放つ目で相手を見据え、いささかの容赦もなく敵を屠るのをセシルは知っている。
 
 秩序を司る神に召還された彼ら、コスモス軍のホームグラウンドである、秩序の聖域に程近いこの辺りには、敵が使役するまがいものの兵士たちの姿はほとんどなく、旅はいつになく寛いだものだった。年若いティーダ――『スポーツ選手だったんだ、俺、でもさ、なんか色々あったみたいで、親父を追って旅してた…みたい』なんて言っていたっけ――の足取りは、久方ぶりに覚える開放感からか軽やかだ。パーティーの先頭に立って歩いていたはずの彼は、いつのまにか小走りになり、少しずつ自分達から離れていく。そしてこちらを一瞬振り向き、大きく声を上げると、今度はさっきよりもずっと俊敏に走り始めた。

「フリオーー! 見てろよーー、これがザナルカンドエイブスのエースの実・力ってヤツ、だっ!」
「おい、ティーダ、待てよ、一人でかってに、」

 静止も聞かず、暮れなずむ空の下、輝く砂浜を整ったフォーム――取るか取られるかという状況下で発揮される野性的なものではなく、何か訓練されたもっと別の――でティーダは駆けていく。呼ばれたフリオニールも呆れるように息をついたかと思えば、重い具足や獲物を物ともせず力強く、がむしゃらに走り出し、みるみるティーダとの距離を縮めていく。そうして、置いてきぼりを食らってしまったクラウドとセシルはお互い顔を会わせ、遠くなっていく二人の背中に少しだけ口許を綻ばせた。

「走っていっちゃったね」
「……そうだな」
「ああやって走りながら、一体なに話してるんだろう」
「さあな、……追いついたら野営の準備だな」

 独特の色味をした青い瞳を閉じ、肩をすくめた仲間は、離れた所で手を振る二人の方へとまた歩き始める。その言葉に頷き、セシルも彼を追った。