アンダーカレント

その日の明け方近く、一晩中燃え続けた燎火が小さくなっていくのをぼんやりと眺めながら、僕はずっと同じ事について考えるのをやめられなかった。前から気になっている男の子――こんな風に言ったら「お前と大して年も変わらないだろ!」なんて怒られてしまうかもしれないけれど、確かにあの、少年の頃を過ぎたばかりの雰囲気のある彼を、僕はいいなぁと思っている。今だってそう。この夜番の交代前に彼が語った事だったり、二人きりで並んで話す内に不意に眠りに落ちてしまって自分の肩へと凭れてきた彼の重みや温かさ、案外に少年っぽいディティールを残した眠り顔だったりとか。気がつけば彼にまつわる諸々に思いを巡らせてしまっている。

 自分とは別の世界からやってきたあの青年とは、こんな風に全く見知らぬ世界に召喚を受けなければ出会う事がなかったのは充分理解しているつもりだった。全てが無事に終われば当然別れの日は来るし、悪ければそれを迎える事なく各々の仇にたおされ、終わるかもしれないという事も。
 それでも旅路の中、ふと二人きりになった時に彼が何となく照れくさげに「良かったら少し話さないか」と切り出すのを僕はいつしか楽しみにするようになったし、そうして元居た世界について語る時に彼が見せる寛いだ表情だったりに随分と慰めを得ていた。最初は多分、どこまでも続く陰鬱な風景の中を共に旅する仲間がいてくれる事への安心感なのだと思った。けれどそれだけでは説明の付かないものがある。例えばあの、真っ直ぐ射抜くような力強い瞳に覚える、ざわりとした感触の情動。それを目にする前、どんな言葉を掛けようと思っていたのか忘れてしまう事さえある。そういう時、話しかけようとしたまま黙っていると、どうしたんだ? といつもの調子で彼は尋ねてくれるから、大丈夫、なんでもないよ、と短く首を横に振る――それまでがいつもの僕と彼とのやりとり。
 仮に「実は僕はいつもそういう目で君を見ていたんだよ」なんて言ったとして、どんな事が変わるだろう。遅かれ早かれ来る別れの定めは変わらない。もっと離れ難くだってなるかもしれない。だけどもしかしたら――。あの目を見る度に自分の裡にある事を思い知らされる、この願いが叶えられる事だってあるかもしれない。誰に決して話すことのない、どうしようもない、腹の底の底のそれ。そんな無為な想像を僕は時々してみる。

『なあセシル、ココだけの話にするからショージキに聞かせて欲しいんだけどさ、アイツの事どう思ってる?』
 そういえば何日か前、一緒に旅をする仲間でも一番年下の彼とテントが同じになった晩、そんな事を尋ねられたっけ。たまに前が見えなくなってしまう所もあるけど、すごく冷静な目を持っていると思うよ、一所懸命で――なんてはぐらかしてしまおうとしたら「そういうんじゃなくて!」と小声で叱られてしまった。
――そうだなあ、好ましく思ってるよ。
 少なからず。
 それって好きってこと? 聞き返されて、少しの戸惑いの後に小さく頷く。そう、いいなあ、って思ってる――彼に告げたその言葉は嘘ではなかった。現に、この世界で戦いを続ける間――それがあとどれくらい続くのかは分からないけど、そんな風に暢気に彼の事を思っていたいというのも確かに今の僕の望みだった。そんな資格が自分にあるのか「あの」記憶を取り戻した今では自信がないけれど。
 その彼の名前は、フリオニールという。

 僕がフリオニールについて知っている事はあまり多くない。齢は18を数えるようになったばかり。魔法はあまり得意じゃない、と言うわりに、火に言う事を聞かせる古い言葉を知っていたり(だからいつも僕たちの間では火をおこすのはもっぱら彼の役目だった)、地霊などの類の伝承には明るい。そういうものが多分生活の一部だったんだ、といつか懐かしそうに話してくれた。好きな事は仲間と一緒に森に入ってする狩りだったとも。そんな時はいつも胸を躍らせていたように思うとも言っていた。どんな話に関してもそうだけれど、話の一等最後に「はっきりとは思い出せないんだ」と付け足す時の彼はいつも少し寂しそうで、その顔が僕は忘れられないでいる。
 それから、何となく覚えている風景についても度々聞いた。いつか駆けたはずの緑の平原や生まれて初めて船に乗って出た荒れた外海の様子、思わず「生きて出られるのだろうか」と不安になるようなとんでもなく入り組んだ迷宮やいつだってしん、と静まりかえっているように感じる雪景色の村の話。一日を終えて床に着く前の時間や短い休憩の間などに少しずつ聞く話によって、元の世界での彼の姿は日に日に形を持っていくようだったけれど、やはり重要なところは僕の持つ記憶と同じように歯抜けていたりする。もっとも自分のそれはフリオニールの話すものよりずっとぼんやりとした、断片的なものばかりだったけれど。
(この所、それを思うとひやりとした不穏なものがよく体を走った。今にして思えば当然だけれど、記憶が戻ってくるたび、じわじわといやな予感ばかりがするようだった。蘇るのは燃える街や逃げ惑う人々の姿、響く怨嗟の声で――)

 フリオニールはよく、大事な物だという枯れない薔薇を眺めている。いつから持っていたのか、誰に渡されたものなのかは分からないけれど、ただ「のばら」の言葉が胸に響くのだと教えてくれた。
 それから、つい今しがた知った事実もある――それは彼の住んでいた村が焼き討ちにあったという事。