サマタイム

 きっとそういうモンだと思っていた。
 なまじ懐が深いばかりに口を開けば「かわいいね」とか、小っ恥ずかしい事がポンポン出てくるセンパイの事だし、男のダチにそういう事言うのは気持ちわりーとかそういう意識がすっぽり抜けてるに決まってる。
第一、今年ひょんなきっかけでツルむ事になった連中や先輩方は皆そうだけど、他の奴らが振り回されてるようなつまんねー世間体とか気にする様子がない。だから言えてしまうんだろう、こんな事。
それは多分、里中センパイと天城センパイのやり取りみたいなもんなのだ。

 ずっと、そう思っていた。この夕方までは。

 
 
 夏期講習の帰り、四六商店に寄ったところでばったりセンパイに出くわした。アイスケースの前に立ってたら、いきなり「お買い物ですか」なんて声がそれまでまるで人の居る気配なんてなかった背後から聞こえるもんだから、心臓に悪い。

いきなり、ぬっ、と目の前に現れて、こんにちわ、なんて。知り合ってすぐに感じた事だけど、どこかこの先輩は浮世離れした所がある。その印象は話し始めて数ヶ月立った今もあまり変わらない。

「それ見たい、ちょっとどけて。所で何本?」

なんで先輩が矢継ぎ早にそんな事言ったのか掴めず、はぁ、とか生返事してたら、アイスケースを覗きこみながらさらに先輩が、こっちを見ずに話しかけてくる。夏向きの白いポロシャツを着たその人の首すじにはじんわりと汗が滲んでいた。どこへ行ってたんだろう、アルバイトだろうか、それとも誰かと遊んでたんだろか。

「どうせホームランバーだろ、何本」
声をかけられるまで、オレ、自分で関係ない事考えてるのにも気づかなかった。
先輩の手にはもう、おそらく自分で食べる分のダブルソーダが一本握られている。そこでようやく彼が何を言わんとしてるのかに気付き、ああ!! とか間の抜けた事を言っちまうんだから、なさけないよな。

 結局ホームランバーは二本買ってもらった。欲張って腹壊したら割に合わないよ、なんて笑う先輩は休み前より少し灼けた気がする。 二人で別々のアイスを食いながら、普段なんとなく込み入った話をする時に寄る高台まで行こうか、という事になり、だらだらと坂道を登った。今年の夏はいつになく蒸し暑い。アイスも心なしか溶けるのが早い気がした。

「最近どう?」
「おかげさまで変わりねッス、ありがとうございます。こないだ色々親父の事とか聞いてもらって、その……吹っ切れるまでいかねーけど、色々ケジメつけねーとな、って気分で。まぁ、でも今週は補習がかったり~くらいで、特に変わった事もないっすねぇ」
先輩は花村先輩に頼まれてジュネスでバイトでしたっけ? と聞くと頷く。
一斉連絡メールで届いた《ジュネス夏期アルバイトにつき、招集はナシ 各人労働および補講に励まれたし》って文面に久慈川がぶーたれてたっけ。補講先輩も居てくれたらよかったのに~ってそりゃ無理な相談だろ。先輩がテストで危うい点数取ったなんて聞いたこともねぇ。オレやアイツとちがってベンキョ出来んだしさ。

この暑さだし、バイト、結構シンドいけどね、と先輩が笑う。続いて聞こえた「何もないのは何よりだよなぁ」というつぶやきの言外にあるものが今はわかる。また誰かが死ぬんじゃないかってマヨナカテレビの予告に怯えて、テレビの中の世界をくたくたになるまで走り回る日々。あんなのは絶対にない方がいい。

それにしたって何でこんなに暑いんだ?夏だからか。額から汗が伝い落ちてくるのを手でぬぐいながら、やっとこさ見えてきた東屋に座る。日陰に入ると、とたんに風が通る感じがして、気持ちがいい。高台から見える稲羽の街を二人して何とはなしに見下ろしながら、オレも先輩もしばらく口を開かなかった。

2本目のホームランバーに手をつけ始めたところで、そういえばさ、と言う声がした。
「前に話した事あったっけ。うちの親ってね、転勤が多くってさ。だから物心付いた時からずっと、自分の街っていうのがなかったんだよね」
へぇ、ほーなんすか。アイス食べながら返事するオレを咎めもせずに、先輩は話し続ける。
「ねぇ、完二。故郷がないっていうのは人格形成にやっぱり影響あるのかな」
「知らねえよ、オレに聞いて分かると思うんスか。」
「完二は聡いから、分かるじゃないかなぁと思って」
どこまでも見通せそうな、色の薄いセンパイの瞳でじっ、と見られるとなんだか座りが悪くなる。
ホントに賢かったら今頃補修なんかでてねーっつーの。

両親の都合でよく転校をしていたという話、そんなモンだからあまり友達がいなかったという話、その代わり、道行く人を眺め、彼らがどんな生活をしているのだろうと想像するのが好きだった、という話。だらだらとしたトーンでセンパイが話したのはそんな事で。
淡々と語られるそれはどれも初めて聞く話だけれど、そんなに驚きはなかった。
彼が今でもバイトだ、部活だ、ちょっとした頼まれ事だ、と奔走しているのはそういう事柄の延長なのかもしれない、と不意にいつもの奇行めいたセンパイの挙動にも納得がいく。
しかし、今となっては笑い飛ばしてしまえそうな、趣味に関するてめえの情けねぇ悩みだって親身に聞いてくれた彼の事だ。気づかぬうち一人一人に肩入れして疲れてしまったりしないのだろうか。

「つーか、疲れないんすか」
「疲れるって何に」
「聞いてっと、色んなトコ飛び回ってるみたいじゃねーっすか、最近」
「はぁ、」
「平気なんすか」
「趣味みたいなものだからね。色んな人の話聞けて、楽しいよ」
当の本人はそんな事言いながらへらへら笑ってるってのに。楽しいっていうなら楽しいんだろう。だのに、何でか知らずにオレの口は、恐れ多くも命の恩人で、おおよそこいつに出来ない事などあるのかという完璧超人一歩手前の先輩に「けどよ」なんて言ってしまう。
「完二、どうしたの」
自分の横でにこにこしてる先輩の姿にハッとした。あー、何だよ、意地張って、辛いとか何にも言いやがらねえ、うちのババァと一緒じゃねえか。答えに行き着いたのは、過ぎたおせっかいが付いて出たのと同時だった。
「ガチで話聞いたり、てめぇの頭で考えてみたり、そうやってやりあった分だけ、ヘトヘトになっすよ、絶対」
うん、そうだね、と真っ直ぐな目をして、その人は頷く。
「だからその……センパイもあんま無理すんなよ、ってか、あーもう、アンタいつ気抜いてんだよ! 働きすぎだっつーの! 周りの奴ら心配させてりゃ世話ねーだろ、ったく何だよ……」

何気なく口にした言葉に、何か過ぎた事でも言ってしまったのではないかと急に恥ずかしくなり、乱暴な言葉を吐いて取り繕う。
「ねえ、完二」
それはなんのてらいもなく告げられたものだから、思わず何かの挨拶だと思わず勘違いしそうだった。
「好きだよ、お前の事」
それまでの会話の流れを切って唐突に発せられたその言葉に、多分三十秒くらいは黙ってしまったんじゃないだろか。
好き? なんだそりゃ、そもそも何で今、このタイミングで?
「……は!? な、何すか、やぶからぼうに」
「その、感謝してる。こんな風に話聞いてもらう事ってあまりないから」
「いや……っつーか普通の事っしょ。むしろ、いつも聞いてもらってっし、こんくらい、ダチなら当然っしょ」

 ちょっと話を聞いただけなのに、礼を言われるなんて、すごく変な感じだ。ましてや、一体どういうつもりなのだろう、唐突に、好きだ、なんて。女子か。
けれど目を伏せ、ひそやかに笑いながら「感謝してる」と言ったその人は、何だかすきっとして見えて、気分は悪くない。
 帰ろうか、と呟くと、センパイは立ち上がり、気持ちよさそうに伸びをした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。