オーバー・ザ・ムーン

  ああ! しかし何てことを言ってしまったんだろう! こんな真夜中まで起きていたせいでいつもより余計に体はくたびれてるっていうのに、頭からすっぽりと毛布を被ろうとも今夜ばかりは少しも眠れる気がしない。落ち着いていられず、天幕の中、こうやって寝返りを打つのはもう何度目だろう。フリオニールは息を付く。

 てんで行き当たりばったりに、セシルに告白してしまった。
 それも半ばやけになりながら、つい、さっき。目も当てられない。伝えたのは確かに心からの言葉には違いないけれど、それでもこの瞬間にもその事を思い出すだけで、顔から火を吹きそうなくらい恥ずかしくて。こういう事は相手の気持ちもあるし、お互いの立場だとか、その、とにかく色々あるのだから、もっと慎重になろうと思い直したばかりだったのに。

『だからさ、そういうトコがフリオはまどろっこしいんだって! 上手く言葉に出来そうにないんだったらさ、あるだろ、あーその……
もっとこうガバッと? 男子たるもの、その暑苦しいハートのほとばしるまま、ボディートークで思いの丈を伝えて、玉砕すんのもセイシュンだろ!なっ!』
 砕けてしまったら全く意味はないし、それじゃあ、まるでけだものじゃないか! なんてあの時のティーダに良く言えたものである。結局その助言の通りになってしまった訳なのだから。その場で玉砕しなかった事だけが救いだ。
 これがその行き当たりばったりの、顛末だ。

*

 日暮れ前の敵との戦闘中にはぐれたきり、なかなか帰らないセシルを、あらかじめ地図を見て決めておいた今晩の野営地で待ちながら、皆で心配していた。襲撃を受けて遅れた仲間の合流を待ったりした事は当然、今までにも経験があるけれど、こんな風に日が落ちてから長いこと経っても集合場所に仲間が現れないのは、初めての事に思えたから。それが、先ほどまでの状況。
 夜半を過ぎ、ようやく戻ってきたセシルは、一人寝ずの番をして彼を待っていたフリオニールを見ると、消耗した様子で、すまないと詫びた。「みんなにも心配をかけてしまったね、だけどほら、何にもなかったんだ」というその言葉の通り、確かに傷らしい傷を受けた様子はない。けれど、それを語る口ぶりも、野営地へと彼が現れた時の歩き姿も、疲れのせいか、妙にぼんやりとして見えたのが気になった。

「ゴルベーザの配下のイミテーションが逃げていくのを見たんだ。
 追っていけば今日こそ奴の首級を収める事が出来るかもしれないなんて、焦って追い掛けたのが間違いだった。
 そのうちに迷って、戻るのが遅れてしまって……」

 らしくない。いつもの彼なら、そんなの捨て置けと言うだろうに。釈明を聞きながら思わずそんな言葉が口から出掛かる。
 敵を深追いした挙句、迷って合流するのが遅れたにしては別れた時からあまりに時間は経ち過ぎていた。それに闇雲に戦果を求め、状況も見ずに突っ走るなんていうのは、おおよそいつものセシルがしそうなやり方ではない。おまけにこの所やけに彼が気にしている、同じ世界からやってきたという魔人の名前まで出てくれば、何もなかったなどとはとても信じる事ができない。だけど。

「セシルが無事ならそれでいいんだ。だけど気がかりがあるなら、話してくれよ。何もなかったんだろ?」

 長い距離を日暮れから歩いてきただろうセシルをこれ以上疲れさせたくもなかったし、怒っているのではなく身を案じているだけだと分かって欲しかったからなるべくなんでもないような言い方を選んだ。だが、そのフリオニールの言葉にも彼は目を逸らし、小さく頷くだけで、それ以上言葉を重ねようとはしなかった。
 いつだって、仲間に心配をさせまいと揺れる心を隠し、秘密を隠し、一人で何かに耐えようとしているようなセシル。そんな風に辛そうな彼を見るのはもういい、もうたくさんだ。一緒に日々を過ごしながらもなにもしてやれないなんて。頭でそう思うのと同時に、半ば叫ぶみたいな気持ちで声が出た。

「いつだってそうだ、一人で何でも抱え込んで。確かにお前よりずっと、戦いの場での経験は浅いかもしれない。でも、それでも力になりたいんだ。仲間だし、その……大切に思ってるから。頼りないかもしれないけど、不安なときには慰めてやりたいし、一緒に泣きたいと思ってる。なあ、セシル、頼むから、こんな風に心配をかけるのはやめてくれ……」

 それを聞くと、目の前のセシルは短く息を付き、あからさまに顔を曇らせた。それに続いた軽く苛立っているようにも懇願するようにも聞こえる声で発せられた予想もしなかった言葉に、フリオニールの頬が染まっていく。さっきの言葉は決してそんなつもりで告げたのではなかったのに、確かにその中に意図せず紛れた好意も憧れも見透かされてしまっていたのだから。

「ねえ、ずっと言おうと思ってたんだ、フリオニール。僕は君が思っているほどきれいなものじゃないし、そんな風に思ってもらう資格もないんだ。女の子でもない。僕じゃあ君の欲しい物をあげられないんだよ」
「それでもおれは、セシルが好きなんだ!」
そう必死になって声を上げても、目の前の人の表情は少しも揺るがない。
 本当に、どうしたら分かってもらえるんだろう。いつだって、目が合ってひっそりとセシルが笑ってくれるだけで、あんなにも胸が高鳴るのに。どうしたら。

 『玉砕するのがセイシュンだろ!』なんてありがたいお言葉を思い出すヒマはなかった。困り果てた末、フリオニールは目の前に立つその人の肩を掴み、勢いのまま、その鼻っ柱にキスをした。よりにもよってそんな場所にされるとは思ってもみなかったのか――あまりにも咄嗟の行動で、自分でも未だに何故そこだったのか訳がわからないけれど!――目が合うと、さっきまでセシルってば、本当に悲しそうだったのに、今では何故だかきょとんとした顔をしている。そうして段々可笑しくなってきたみたいに、くつくつと音を立てて笑い出して、それから――。

 ああ、 まだ思い出して、どきどきしている。それは何も想像と違っていなかった。
 不意にふんわりといい匂いがして、頬に冷たい手が触れる。それから、ほんの一瞬、押し当てるみたいに短く、セシルはその柔らかな唇をフリオニールのそれに重ねた――。
 胸がいっぱいで、たまらなくって、フリオニールは手で目を覆う。あの感触や温度、小さな呼吸音。ほんのまばたきするような間の出来事だけど、それは確かにずっと夢に見ていたような瞬間だった。
「……本当に、君は聞き分けがないよ、」
 唇が離れていってすぐ、こつん、と額が軽く合わせられ、掛けられたあの言葉。それに咎めるような響きはなかったけれど、一体あれはどういう意味だったのだろう。

 その時、唐突に天幕の開く気配がした。今の今まで隣に誰も寝ていないのをいい事に、時々ああ、とか言葉にならない声で小さく感嘆しながら寝返りを打ったりと、こんな風に少しも落ち着けずにいたフリオニールは、大いに慌てながら迅速に口元まで毛布を被り、体を丸めて眠ったふりを決め込む。
 結局まだ、起きていてやる事があるというセシルに「遅くまで待っていて疲れたろう」と先にテントに押し込められたのが先ほど。そろそろ戻ってきてもおかしくない頃合だったのに、あろうことか失念していた。
 目を瞑ったまま、天幕の中に誰かが入ってきた物音を聞く。さっきまで空だったフリオニールの隣のスペースに、その人が横になる気配を感じると、彼は思わず身構えた。
「ごめん、寝てるよね」
 本当に抑えたボリュームで背中の方から聞こえてくるその問いかけに、まさかそうだと答えるわけにも行かず、黙ってやり過ごしていると、さらに秘密めいた雰囲気の彼の独り言は続いた。
「さっき言い忘れちゃったけど、僕もね、ずっと君の事、好きだったんだよ」
 それから急に気配が近くなったかと思えば、ぴったり背中に寄り添われてしまったのだけれど、眠っているはずのフリオニールには何も言葉を返すことが出来ず、微動だにする事も出来なかった。
――そういえば、すっかり返事を聞いたつもりになっていた……。
 今更ながらに思い出せば、フリオニールは少し青くなる。拒まれる事なく口付けを返され、すっかり思いが通じたような気がしていたんだから。だけどもうすでに関心はそんな少し前の失敗より、今この時背中に感じるセシルの温さが気持ちいいなぁ、とかそういう事に移りつつある。細かい事など考える余裕など当然もうあるはずもなくて。肝心のセシルがあんな風な顔をして帰ってこなければならなかった理由まで聞きそびれていた事に気づくのはまた次の朝。そうしてセシルが兄であるというゴルベーザを追って出立するのはこの夜から一月と少しを数える頃の事で、フリオニールの心配の日々はまだしばらく続くのだけれど、今はまだそんなこと知るよしもなく、ようやくそろそろいい夢が見られそうな具合にまどろみ始めるのだった。