見知らぬ、懐かしい恋人(後編)

 二人とも、飢えている。やさしい肌や頬を撫でていく夜風みたいな愛撫、そして熱い肉に。
 素肌の腰に落ちる、慈しみを感じる口づけは懐かしく、じりじりとした渇望が静かに満たされていくのをセシルは感じた。触れれば触れるほど、もっと近づきたくなる。息ができないくらいにぐちゃぐちゃに交わりたい。そんな風に思ってしまう。
「ねえ、フリオニール。本当に嫌じゃない?」
「嫌なんかじゃないさ、それにもう引っ込みが付かないのはお互い様だろ?」
 目の前に横たわる人に手を伸ばし、抱き寄せながらセシルは小さく微笑んだ。

 後ろから性器を捩じ込まれ、深く息をつくと涙がこぼれた。思わず身をよじれば、腰が逃げないよう、しっかりと無骨な手で掴まれる。奥までずっぽりと熱くかたいものが挿入ってくる。ゆっくりと揺さぶられ、思わず声を上げそうになる。
 自分に覆いかぶさる青年の荒い息遣いを感じる。もっと動いてもいいよ、と目配せした。その意味が分かったのか、突き上げる動きがだんだんと激しくなる。
 まぐわりながら『思い出す』のは、いつか彼と旅の途中、天幕の中で息を殺しながら口づけをした記憶。そして、今日のように仲間から離れ、森のなかで逢引きしたこと。こんなにも、その肌も、手も、体も懐かしいのに。ただ一つ分かるのは、そう感じていたのは「今」この時、この世界で彼と出会った自分ではないということだった。髪に落ちる口づけも、名前を呼ぶ声も目の前にいる自分のためではない。そうわかっていてもなお、求められるのは心地の良いことだった。

 粘膜を擦られるたび、訪れる過ぎた快楽に膝が震える。繰り返される抽送にもう、ほとんど気をやりそうになる。腰を掴む手に込められた力と背中に落ちる汗、そして相手の何かを堪えるような息遣いを感じ、このままいってよ、とセシルも荒い吐息混じりに呟く。しかし、帰ってきたのはいやだ、という短い否認の言葉で。
「その……、顔を見ながら、したいんだ」
 続いた「お前と」という言葉に、ぐらりと視界が揺らぐ心地がした。気持ちを取り繕い、隠し立てすることなく、フリオニールはいつだって真っすぐと言葉を投げてくる。こういうことを言うとき、彼の耳の縁が赤くなるのを好ましく思っていた。いつかの自分が。それは遠い過去の記憶と呼ぶにはあまりにはっきりとしたもので、けれど、手が届きそうなのに届かない、蜃気楼のようだった。
「いいよ、それなら――」
 互いに示し合わせ、姿勢を変えて向き合えば、腕を伸ばしてより体を近づける。
 おぼろげな記憶を辿っても、逃げ水のように遠ざかるばかりならば。いっそその正体など確かめることなく、求めるままに、求められるままに貪りあうほうがいい。熱の行き場を求めて、また、目の前にいる青年が夢まぼろしではないのを確かめるために、セシルはフリオニールの背に手を回す。

 先ほどまで雲一つなかった夜空には昏い雲が垂れ込め、煌々と輝いていた月を隠してしまう。最初はゆっくりと、それから段々に勢いを増して降り始めた温いにわか雨は、裸の肩を包むヴェールみたいにも思えた。もう、長いことパーティから離れてしまっている。早く着衣を整えて、野営地に戻らなくてはと思うのに、セシルは、もう一歩も動ける気がしなかった。隣にいるフリオニールも、言葉にこそ出さないが同じような様子だった。
「もう、戻らないとね」
 言葉とは裏腹に、手慰みに相手の手を取ってそのごつごつとした形を確かめたり、まだ少し荒い息の音を聞いている。それだけでどうしてこんなに安らぐのか。
「ああ、そうだよな――」
 同意の言葉を発したはずのフリオニールも、緩慢にセシルの頬や髪に触れたりするばかりで、そこから立ち上がろうとはしない。
 このまま見知らぬ、懐かしい人と優しい檻のような雨の中に二人閉ざされ、じっとしていることができたら。それこそ、すぐに立ち消えるかげろうのような望みだと十分に分かっているけれど。
 せめて、この通り雨が上がるまではこうしていようか。そう言いかけた時、隣に座るフリオニールも何かを言ようとしているのが目に留まったもので、それがなんだかおかしくって。どうしていいのかか困っているのか、少しはにかんでいるようにも見える表情をした彼の頬を包み、セシルはこつん、と額を合わせて、その瞳を覗き込む。一体どうしたことだろうね、この世界も、僕たちも。その問いに答えるすべを持たないだろうフリオニールは、やっぱり少し困惑したように微笑むだけだった。