おはよう

 かぐわしい花の匂いが鼻をくすぐった。生命力を感じさせるそれ。しばらくそんなもの嗅ぐことなんてなかった気がする。
 次に感じたのはまぶしさだった。妙に体が重たいのでもう少しまどろんでいたかったけれど、渋々瞼を開ければ、そこには見慣れた義妹の姿があった。
「おはよう、フリオ」
「……おはよう、マリア」
 ベットの中の自分を見下ろす妹の顔があまりにも疲れているので、昨日寝なかったのか、しっかり休まないとだめじゃないか、と思わず諭せば、バカ、と笑われてしまう理由がフリオニールには分からない。
 さっきまで確かに感じていたすえた匂いも、じりじりと背中について離れない死の気配も光が差し込むこの部屋には見当たらない。代わりにあるのは、明るい窓辺やそこにあるばらの生けられたガラス瓶、ふわふわと風で揺れるレースのカーテンみたいな、愛しんでやまないなんでもない生活を作り上げている一つ一つのかけらたちだけだった。
 繰り返される不毛な戦い――どこで何のために戦っていたのか全く思い出せないけれど――、そして終わりの見えない日々を象徴しているような汚れた天幕もカンテラはここにはない。
「なあマリア……おれひょっとして」
「自分で覚えてる? フリオってば一週間ずーっと寝込んでたんだから。心配したよ……もう」
 熱に浮かされて、酷い夢を見たことだけは覚えている。さっき見たばかりの、仲間がたおれる夢のような。
 ふと妹の小さな手がフリオニールの額に触れる。よし、熱も下がってる、と嬉しそうに彼女は頷く。
「ねえ、何か食べるでしょ、みんなフリオには早く元気になってもらわなきゃ、って言ってるのよ」
 そう言うが早く妹は寝室から居間のほうへと歩いていった。
 上体を起こすと、自分の指をそっと唇に宛ててなぞってみる。一体あのおれはどんな気持ちで、彼のそばに付いていたんだろう。さっきの夢の中、横たわっていた彼の目元、包帯で覆われていたその奥に本来あるべき瞳の色は薄いすみれ色だった。
――待ってくれ、なんでそんな事が分かるっていうんだ。
「   」
 確かに目が覚める直前、事切れたその人をおれは呼ぼうとしていた。
 しかし今のフリオニールが改めてそれを口に出そうとしても、その名前が音になることはなかった。分かっているはずなのに、どこかにそれが引っかかって出てこない感覚が疎ましくなり、両手を握り、顔をしかめた。