あの男

 あの男が通るところには必ず血の嵐が巻き起こる。
高貴な出自を物語る、金の髪が返り血にまみれることを厭うどころか、むしろ進んで汚れたがる姿を見、敵はおろか味方までもがこう言った。

――狂っている。

 幼い時分を知るものは「物静かなお子でした」と宮殿にて、声を潜めて語る。
「産声を上げずに、ほとんど青ざめた顔でお生まれになったの」
「物心ついたころに、ご母堂が身まかられたと知っても『そうか』と一言だけ言われたというわ」
 喜ぶこともなく、他の子どものように駄々をこねて泣くこともない。物分かりがいい子だと家臣は褒めたが、むしろその身に「虚ろ」が巣くっているのではないかと噂されることもあった。
 やがて、多くを語ることのない子供は「狩り」の場でその才覚と争いを求める血統を証明。ドマ、アラミゴ、そのほかの属州にて比類なき力で支配し、民を恐怖の底へとつき落とす。しかし、それが成し遂げられてもまだ、あの男が満ち足りて見えることがなかったのは、なぜなのだろう。
 
 ガレマール本国に「アラミゴ空中庭園で皇太子が自刃した」との報が届いた時、誰もが耳を疑った。もちろんそれが誤報であったことは、あと男の帰国と共にすぐに知れ渡ることになったが、奇妙なことにアラミゴ人の間を次のような噂が席捲しているという。

 アラミゴに圧政を敷く中、ただ一度として笑顔を見せたことのないゼノス・イェー・ガルヴァスは、満面の笑みを浮かべたまま死んでいった。アラミゴで、属州で流れた血とその犠牲を悔いるどころか、退屈な戦だったとせせら笑うように。

 気のいい眼帯の男が差し入れた手巻きたばこを吸いながら、かの皇太子の指揮する隊におり、命からがら本国に引き上げてきた兵士はぼそっとつぶやいた。
 
 まったく、おかしなやつだよ、本当に。あの男は。